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34.お疲れ様でした

34.お疲れ様でした

皆様お早うございます。
今年も今週で終わりますね。一年間、お疲れ様でした。人それぞれ、この一年の想いは異なるでしょう。こんな嬉しいこと、あんな楽しいことがあったという人もいれば、胸が潰れるほどつらかった、涙が止まらないほど悲しかったという人もいるでしょう。いろんな人生があったことでしょうね。1年365日、長いと思いますか、短いと思いますか。

地球が誕生して46億年になります。火の玉地球は1億年後に地表が冷え、6億年後に海に生命が誕生したそうです。1億年という時間の長さ、想像がつきますか。霊長類が出現したのは今から6,500万年前で、まだ1億年が経っていないのです。それから猿人、原人、旧人と進化して、現生人類と変わりのない新人が出現したのはわずか2万年前です。高さ60mの階段ピラミッドが造られたのが5,000年前、卑弥呼が邪馬台国を治めていたのが1,800年ほど前、北海道の開拓が始まったのは150年前です。地球の歴史からすると、人間の営みはまさに一瞬の出来事だということが分かります。

先日、孫の1歳の誕生日を祝いました。一升餅を風呂敷に包んで袈裟懸けに結わえ、背負わせました。ほぼ2kgの重さだそうです。泣きわめくかと思ったら「なんだこりゃ」という顔をしながらもつかまり立ちをして、周りの拍手に応えるように得意顔をしていました。たったの1歳。まだ何も知らない1歳ですが、これからの人生すなわち一生(一升)の間、食べ物に困らないように、健やかであるようにとの願いを込めて、お祝いを致しました。

人の一生なんてせいぜい頑張って100年でしょう。悠久の地球の歴史から見ればまさに一瞬です。その一瞬の中で1歳の誕生日を祝い、七五三、入学式、卒業式、成人式、結婚式、出産祝いをしています。ほんの一瞬なのに喜び、怒り、哀しみ、楽しみに明け暮れしています。一瞬なのに何と馬鹿馬鹿しいことをしているのでしょう。何と無駄なことをしているのでしょう。どんな意味があるのでしょう。

…実は人の命は一瞬ではないのです。1歳の孫はお父さん(私の息子)、お母さん(お嫁さん)という二人の親がいて生まれました。孫は当然親二人の遺伝子を受け継いでいます。その親二人にはそれぞれ二人の親がいます。私を含めて4人です。孫は私の遺伝子を継いでいます。さらに私は二人の親から生まれて…という具合に話を進めていけば、5代で32人、10代で1,024人、つまり2のべき乗の計算となり、33代で何と86億人となります。30年で次代の子が生まれるとすれば33代は約1,000年となり、1千年前とは平安時代です。新人の誕生は2万年前でした。それから700代にわたる遺伝子が1歳の孫に受け継がれているのです。2の700乗です。天文学的数字で計算する気にもなれません。

いかがでしょうか。ちっぽけで取るに足らないほどの命ですが、皆さんそれぞれ、悠久で膨大な命のかけらが寄せ集まっているのです。連綿とした時間がこの先も続くのです。だからこそ、この子らのために「良き世界」を準備しなければなりません。我ら皆、わずかばかりの時間、つかの間の人生ですが、「良き何か」を次代にバトンタッチする責務があります。自分は何を残せるのか、それぞれ思いつく先は異なるでしょうが、必ず「何か」はあります。それが生きている「証」となるのです。

すいません。自己陶酔して訳の分からないことを言い過ぎたかもしれません。
皆さま、良いお年を!
(2016.12.26)
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33.残酷すぎる真実

33.残酷すぎる真実

皆様お早うございます。
日ロ首脳会談にがっかりしました。外交は武器を用いない戦いと言われますが、日本人は人が良すぎるという欠点が有り(それが長所でも有り)、したたかな「ガイジン」にしてやられることが多いという過去が歴史にいくつもありますね。せめて2島は返還か、と期待していたのですが…。

新能登メール(33):残酷すぎる真実、送ります。

頭の良し悪しが遺伝で決まる、とすれば、どうなるでしょう。簡単に言えば、バカな親からバカな子どもが生まれ、頭の良い親なら子どもも頭が良い、ということです。それがホントならバカな親の子どもは努力しても無駄です。いくら勉強してもバカなのですから。しかし、はじめから「頭の良し悪し」が決まっているというのは、学校教育という観点から、誠にもって都合が悪い。教え甲斐がない。できれば、努力すれば誰でも頭が良くなる、ということにしたい。よって、「頭の良し悪しは遺伝しない」と誰もが思うように仕向けられている、らしいです。

しかし、頭の良し悪しではなく体型はどうでしょう。背の高い親から背の高い子どもが生まれる、と思いませんか。親が太っていると子どもも太っている、と感じたことはありませんか。学術的な調査によれば、身長の遺伝率は66%、体重の遺伝率は74%だそうです。この場合、遺伝率は確率ではありません。遺伝的な要因が作用する割合、ということです。病気はどうでしょう。実は、総合失調症や躁鬱病の遺伝率は80%を超えるのだそうです。これらは科学的な調査結果で、作為的な操作をしていません。されど、おおやけにはされていない、というのが実態だと思います。

もっとヤバイ調査結果もあります。知能は人種によって異なる、というものです。黒人の知能が白人より低い、というのです。もう少し詳しくいえば、記憶力についてはすべての人種はほぼ同じと言えるが、概念理解、簡単に言えば「考える力」は白人とアジア人が高く、黒人やメキシコ系は低い、のだそうです。「遺伝的」にそうだというのではありません。おそらく「環境」のせいだと思います。貧困ならば十分な教育を受けられません。親が高収入ならば子どもの学歴が高くなる、とは良く知られた事実です。

以上、橘玲(たちばなあきら)著「言ってはいけない 残酷すぎる真実」(新潮新書)の一部を紹介しました。私自身、半信半疑であります。皆さんはどう思いますか。科学的調査結果なのだ、文句があるか!とも言えるし、そんな波風の立つようなこと、誤解を受けやすい結果はなるべくなら公表しない方がいいのでは、とも言えるでしょう。「科学」はときには「残酷」なのであります。人類誕生のせいで地球はいずれ破滅する、というのもかなり残酷な真実のように思います。

おわりに、同著にあった面白い記述を紹介しておきましょう。人差し指と薬指を比べて下さい。女性はその長さがほとんど同じですが、男性は薬指が長いことが多い。その長さの違いはテストステロンの値が高いほど大きくなる。テストステロンは代表的な男性ホルモンで、この数値が高いほど競争を好み、野心的・冒険的で、攻撃的な性格になる(性欲も当然強くなる)。おまけに「顔の幅」も広くなる、のだそうです。いかがですか。男性の皆さん、思わず指の長さを見比べたことでしょうね。
(2016.12.19)

32.アイとかエルとか

32.アイとかエルとか

皆様お早うございます。
いやはや凄い雪でしたね。札幌はまだ降り続いています。1日3回も雪はね。身体がギシギシ言ってます。おまけに通勤時に見事にスッテンコロリン。皆様もお気をつけ下さい。

新能登メール(32):送ります。

11月29日(火)の午後、日本技術士会主催の第36回地域産学官と技術士との合同セミナーがポールスター札幌で開催されました。テーマは「ICTを用いた最新技術がもたらす産業構造変化」。例によって開会挨拶は私、北海道本部長の役目。がしかし、ICTって何だ?高速道路の何かか? いやクレジットカードの何かだっけ? まあこんなときはネットで調べるに限る。その結果、何のことはない、昔のITにほとんど同じ、ということを知りました。

ご承知の通りITはInformation Technologyの略。2000年にIT基本法が制定され、2001年にはe-Japan戦略が策定されました。5年以内に世界最先端のIT国家になるぞというかけ声の下、高速インターネットを普及させるための技術やインフラ整備が重要視されました。それが2005年頃からICTというようになったそうです。海外ではITよりICTのほうが一般的だとのこと。そのICTはInformation and Communication Technologyの略。日本語では「情報通信技術」となりましょうか。ITはコンピュータのハード的な技術、ICTは膨大な情報を活用するソフト的な技術、といった微妙な使い分けがあるようです。そしてまたITは主として経産省が使い、ICTは総務省が使うのだ、とも聞きました。

セミナーは4人の講師から農業関係、建設関係、下水関係、計測関係のICT活用のお話しを頂きました。簡単に言えば、色々なセンサーでデータを収集し、最適な状況を予測し、ロボットや各種機械に作業をさせ、効率化、高精度化、生産性向上、安全の確保などを行うというもの。トラクターが自動で広大な畑を走り回り、ブルドーザやバックホウが自動で盛土施工を行い、ドローンやレーザースキャナで瞬く間に三次元計測を行う、などといった最新の技術には驚くばかり。こんな仕事に携わっている人々は毎日がさぞかし楽しいだろうなあ、とうらやましくもなりました。

セミナーが終わって情報交換会(という名の懇親会)。隣に建設関係のICT(これを特にi-Constructionという)を紹介した北海道開発局の島多さん。あれこれとお話ししているうちに、「ところで、i-Constructionのiって何?」と聞いたところ、何と答は「実は何のiなのか決まっていないのですよ」とのこと。これには驚きました。そんなバカな、とばかりに翌日ネットで調べまくりました。多分information、innovation、intelligent、integratedなどではないかと考えていました。ネットにはi-Constructionとは何かという記事は山ほどあります。しかし、そのiは何か、がどこにも書いてありません。i-Construction委員会の議事録をすべてチェックしましたが、委員のどなたも疑問を呈しておりません。こんなことが気になるのは私だけなのでしょうか。分かったことは一つだけ、i-Constructionは国土交通省国土技術政策総合研究所の商標登録だということです。

そんなやりとりを聞いていたOさんが「エル特急のエルに似た話ですね」といいます。何やら面白そうなので早速ネットで調べたところ、エルとは、Limited、Liner、Lightなどが考えられるが、定義が曖昧で順次呼称が廃止され、いま現在はJR北海道とJR東海だけがエル特急の呼称を使用しているそうです。JR北海道では「特別急行=長距離・指定席中心(自由席が少ない)」「エル特急=短中距離・自由席中心(指定席はuシート1両のみ)」という区別が今でも明確に守られており、利用者側にも定着し、実質的に下位種別的な意味合いで使われているのだそうです(以上、Wikipediaより)。いやはや勉強になりました。それにしてもi-Constructionのi、あれは何? 誰か教えて! アッ!? アイか。アイは曖昧なもの、矛盾に満ちたもの、人それぞれに想いは違うもの、…なのかも。
(2016.12.12)

31.歌謡曲(パート2)

31.歌謡曲(パート2)

皆様お早うございます。
昨日12月4日、JR北海道留萌線(留萌-増毛簡)がラストラン、つまり廃線の日。我が家の裏を蒸気を吹き上げながら走っていた鉄道(当時は蒸気機関車)。高校卒業までの18年間、毎日のように目にしていました。ちょっと寂しいとは思いますが、ときの流れ。保線区の皆様、ご苦労様でした。

新能登メール(31):歌謡曲(パート2) 送ります。

歌は世に連れ、世は歌に連れ。時代の「空気」に応じて歌が生まれ、世相を反映した歌がヒットします。例えば終戦直後、人々は暗さを脱却せんとして明るい歌を求めました。「リンゴの唄」や「東京ブギウギ」です。昭和30年代に入ると東京に出る若者が増え、望郷の歌が流行ります。「別れの一本杉」、「リンゴ村から」。東北からの出稼ぎや集団就職の玄関は「ああ上野駅」。昭和40年前後に御三家登場、青春恋愛ものが流行り出す。「いつでも夢を」、「学園広場」、「君だけを」。その一方で純愛からの脱出の歌も出回る。「恍惚のブルース」、「小指に思い出」、「ゆうべの秘密」。昭和40年代後半には学生運動が終焉氏し、若いエネルギーは発散する方向を見失い、不確実で混沌とした時代がやってきます。訳の分からない「黒猫のタンゴ」、「およげたいやきくん」が一世を風靡し、「女のみち」や「なみだの操」などの歌手とは思えない連中の歌がなぜか大うけ。昭和50年代、鬱積していたエネルギーはピンクレディを見つけ、次々と大ヒット曲を生む。昭和50年代後半にはバブル景気に突入し、国中が浮かれ気分。「ダンシングオールナイト」、「ランナウェイ」、「ルビーの指輪」、「チャコの海岸物語」、「さざんかの宿」などなど。

……てな具合に、パソコンで各年代のヒット曲を調べながら、世相との相関を考察して話を進めてきましたが、さすがに疲れました。平成以降の考察はどなたかに譲ることにします。「青い山脈」は戦後民主主義の象徴だ、昭和45年前後は「今日でお別れ」などの男女の別れ唄がなぜかヒット(実は私も…)、昭和50年の「木綿のハンカチーフ」は都会に出た青年が田舎(に残った少女)を見捨てる構図で地域格差、価値観の相違という時代背景がある、というようなことも知りました。疲れてきたので「歌は世に連れ」はここまでにし、次に「世は歌に連れ」とも言えることなど少し…。

「白夜」を何と読みますか。今ではほぼ全員が「びゃくや」と読むはずです。しかし本来の読みは「はくや」でした。昭和45年、加藤登紀子が「知床旅情」で「びゃくや」と唄ったせいで、すっかり「びゃくや」が定着してしまいました。次に「花街」を何と読みますか。「はなまち」ですよね。ところが正しくは「かがい」だとのこと。これも昭和50年、金田たつえの「花街の母」以来、「はなまち」になったようです。もう一つ「精霊流し」は何と読みますか。さだまさしの唄にありますね。多分ほとんどの人が「しょうろうながし」と読むでしょう。しかしパソコンで「しょうろうながし」と打っても「精霊流し」と出てきません。正しい読みは「しょうりょうながし」です。「霊」は「悪霊(あくりょう)」の「りょう」とは読めても「ろう」とは読めないのです。どうやら「灯籠流し」と「精霊流し」がゴッチャになってしまったようです。

以上、歌のせいで読み方が変わってしまった例を述べましたが、歌は世の中を変えるほどの力がある、ということですね。出展は、梶原しげる著「不適切な日本語」(新潮新書)です。おわりに、懐メロなどをテレビで視聴していて、「昔はいい曲ばっかりだなあ」と思ったりしたことはありませんか。よく考えれば分かることですが、昔も今も膨大な数の歌謡曲が出回っているのであって、そのうちの数少ない何曲かがいい曲となって残る、ということだと思います。それにしても近頃の歌謡曲にさっぱり「「いい曲」がない、という気はします。年のせいでしょうかねえ。

注記;「精霊流し」と「灯籠流し」
「精霊流し」は長崎県内でお盆に行われる伝統行事。初盆を迎えた故人の家族らが、盆提灯や造花などで飾られた精霊船と呼ばれる船に故人の霊を乗せて、終着点まで(主として路上を)運ぶ。「灯籠流し」は、お盆に全国各地で行われる行事。死者の魂を弔って灯籠を海や川に流す。
(2016.12.5)

30.少子高齢化の荒波

30.少子高齢化の荒波

皆様お早うございます。
新能登メール、今回で30回目となりました。今まで、色々な方から返信メールを頂いておりますが、消去するにはもったいなくて、そのすべてを特定のファイルに保管してあります。ほとんどの返信メールは私にとって心地よく、執筆意欲をかき立てる内容となっております。ありがたいことです。といって返信メールを強要するものではありません。さらりと、淡々と読んでいただければ幸いです。

では新能登メール(30)少子高齢化の荒波、送ります。

もうひと月も前のことで恐縮だが、10月21日(金)、日本技術士会北海道本部社会活動委員会主催の講演会があった。講演者は作家・ジャーナリストでもと朝日新聞社編集局長の外岡秀俊氏。講演タイトルは「北海道のこれから 少子高齢化・過疎化の荒波を超えて」。私は北海道本部長として開会挨拶をしなければならない。最近敬老優待乗車証(いわゆる敬老パス)や肺炎球菌ワクチンの案内が届いて、自分も「高齢者」の仲間入りをしているのだなあと否が応でも思い知らされていたところだが、今日の講演タイトルを観て愕然とした。高齢者は「荒波」か。という挨拶で笑いを誘ったが、思い上がって次のような余計なことまで言ってしまった。

講演者の外岡さんのプロフィール。1953年札幌生まれ、札幌南高、東大法学部。在学中に小説「北帰行」執筆し文藝賞を受賞。もうこれだけでただ者ではないと分かる。思わずのけぞってしまいそうな気分。大学卒業後朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員や欧州局長を歴任、東京編集局長を最後に退職し、今は中原清一郎名義で作家活動。なんともはや超エリートの道を歩んできたお方なのである。しか~し、私は今ハスに構えている。私は長いこと公務員生活を送ってきた。公務員の多くは北海道新聞と朝日新聞と琉球新報の記事をやや色眼鏡を通して読む癖が付いていて、どうしてもバイアスを掛けて判断してしまうのだ。そこで今日だけは正面に構え、外岡さんのお話をまじめに聴講しようと思う(…と言いながら、ちょっと拙かったかも、と思った次第)。

さて外岡さんのお話であるが、図表を用いての人口動向、札幌への一極集中、生産労働力(15~64歳の人を言うらしい)、人口の再生産力(20~39歳の女性のことを言うらしい)などについての説明の後、少子高齢化による社会保障(年金、医療、介護)の増加、認知症患者の増加などの問題点に言及(65歳以上は「終わった人」なのか、40歳以上の女性は出産できないというのか、などと昔風の「常識」にムッとしながら聴講)。しからばこれらの「荒波」をどのように超えていくのか、適切な解決策を伝授してくれるに違いない、あるいはせめて某かのヒントをくれるに違いない、と大いに期待していたのに時間切れ。最後にこう言った「窮すれば通ずと言いますが、正しくは窮すれば変ずる、変ずれば通ず、であります」。まあ、さもありなんとは思う。

質疑応答が始まった。若干時間が余ったせいもあり、司会者が私に振った。やむなく思うところを正直に言ってみる。「少子高齢化は先進国の問題であり、地球規模で人口動向を見れば必ずしも問題ではないと思う。動物の世界では、歯が欠けた、足が弱った、そのような動物は群れから離れ静かに死ぬ。健康な動物たちは自分たちのテリトリーを守り、あるいはテリトリーを広げ、生き続ける。それが自然の摂理。少子高齢化で日本の体力が弱まるのであれば、どのような対処をしても遅かれ早かれいずれ日本は消滅する。アジア・アフリカの健康で若い人たちがあるいは人種が、国が、新たな世界秩序を造る。それが自然の摂理で有り、歴史ではないか。しかし、日本は消滅しない。逆境を必ず乗り越える。日本、日本人はいくつもの問題を解決してきた。少子高齢化もきっと乗り越える。私はそう思う」。これに対し外岡さんは「諦観ではなくまさに達観です」と言った。褒められたのか、いなされたのか、今もって分からない。
(2016.11.28)
プロフィール

Author:能登繁幸
「ちょっと斜にかまえたエッセイ集」の第1集、第2集、第3集、ならびに毎週発信の「新能登メール」を収納。

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