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128.マルサスの罠

皆さまお早うございます。
今年もあとわずか。厳寒の中での現地調査や夜遅くまでの報告書仕上げに追われている方々もいることでしょうが、年末年始はのんびりと体を休め、健やかにお過ごしできるよう、お祈りいたします。

それでは今年最後の新能登メール(128):マルサスの罠 送ります。(やや難しいかも)

人口の増加は2x2x2x2…という具合に「幾何級数的」に(ネズミ算式に)増加する。一方食糧は2+2+2+2…という具合に「算術級数的」に(一定の数量で)増加する。そうするとどうなるか。人口がどんどん増えるのに、それに見合った食糧が得られない。人間社会は貧困に陥ってしまう。それでは困る。そこで人間はいろいろな手を使ってこれを回避してきた。その結果、人口は幾何級数的ではなく、微増くらいで推移してきた。このことを「マルサスの罠」という。(詳細を知りたい人は別途ご自分でお調べください。)

四大文明は肥沃な土地で始まった。食糧は十分にあった。次第に人口が増加する。必然的に食糧不足が起きる。貧困が始まる。すると病気が蔓延しはじめ、飢餓で死に、戦争で多くの命が失われる。その結果、人口が減少し、食糧が十分行き渡るようになり、安寧な生活が始まる。エジプト文明は何度も王朝が変わった。主たる原因はナイル川の水位の変動。洪水は豊かな恵みをもたらすが、干ばつになれば食糧は途絶える。飢餓の住民は王朝にすがる。しかしなすすべがない。王朝は住民の信頼を失い、滅亡する。中国は秦の始皇帝が没した後、国内動乱が続き、天変地異が重なり、人口が激減した。戦勝国は敗戦国を蹂躙し、民族浄化を「常識」とするから、人口減少は甚だしい。日本あるいは日本人はそのような「常識」がないから戦国時代でも人口の減少はわずかであった。

人口が増え出すとペストや天然痘が流行り出す。隣国と戦争する。出産が制限され、高齢者は捨てられる。かくのごとくして人類はマルサスの罠に嵌まり続けていたが、ワットが蒸気機関を発明し、薪炭から石炭に変わり、まずイギリスで産業革命が起きた。瞬く間に世界に広がった。食糧の増産が可能になり、マルサスの罠から抜け出した。さらに水力、風力といったエネルギーから効率の良い石炭、石油などの化石エネルギーに移行する。大量のエネルギーが各所に投入され、技術革命が進み(新しい化学肥料が開発され)、大量の食糧の増産が可能になった。大人口を支える社会インフラも構築された。

さてこの先、いつまでこの状態を維持できるのだろうか。再びマルサスの罠に陥ることはないのだろうか。化石エネルギーには限界がある。再生可能エネルギーは供給が安定しない。原子力は最終処分の方法が見つかっていない。今地球の人口は75億人。飽食の国がある一方で飢餓の国が多数存在し、およそ9億人が飢餓状態にあるとされている。前回のメールに書いたが、蒙古騎馬民族と思われるフン族が西欧に向かったのは食糧難が原因といわれている。これに押し出されるようにゲルマン民族が南下した。ヨーロッパにとって歴史の大きな一コマである。同じように今、多数の難民がヨーロッパを目指している。南米の貧しい人たちが移民を希望してアメリカ本土に向かっている。南シナ海全域が俺のものとばかりに南沙諸島の埋め立てに精を出す中華人民共和国、ケニヤの経済を牛耳るインド人たち。それらをテレビのニュースで見ながら、これってマルサスの罠に嵌まりつつある人間の姿ではないのか、と不安に襲われる今日この頃なのである。

それでは皆さま、「良いお年を」!!

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127.国の数

皆さまお早うございます。
札幌、今現在外は雨。すっかりアスファルトは出ていますが、「札幌の積雪」は13cmだそうで、一般人の感覚とは違うんですね。(札幌平岸で爆発事故。道路真向かいに知人が住んでいて、メールを打っても帰ってこない。ちょっと心配。)

新能登メール(127):国の数 送ります。

世界に「国」はいくつあるか知っていますか。正解は、というと、これが結構難しい。何を基準にするかで答が変わるのです。国連に加盟している国の数ならば193です。日本が承認している国の数は195で、これに日本を足して合計が196カ国、という答もあります(ちなみに日本は北朝鮮を国と認めていない)。では、国の数が増えて「幸せ」なのでしょうか。

今や地球上は、南極大陸を除けば(正当かどうかは別にして)陸上、海上に国境が引かれていて、そこに住民がいて、行政組織を持ち、外交能力を持ち、他国から承認されて、「国」をなしています。しかし遙か昔、例えば四大文明が発祥した頃、「国」はあったのでしょうか。「あの辺に誰々がすんでいる」程度の認識で、まず国境がない、承認してもらう「他国」がない、住民の実態が分からない、租税システムが機能していない、防衛はボスの腕力に頼るだけ、というのが実情だったように思います。やがてギリシャにポリスができ、近隣の領土争いで「国」の意識が生まれ、アレクサンダー大王の登場、ローマ帝国の誕生とつながります。

おそらく騎馬民族の蒙古人であろう「フン族」が西ヨーロッパに移動して(食糧難のため?)、もともとそこに住んでいたゲルマン民族が南の各地に追い出されます。ゲルマン民族の大移動です。それがきっかけで西ローマ帝国は滅亡、各地にドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルの原型ができます。また一方、ゲルマン人の一派ノルマン人は北の海を荒らしまくって(ヴァイキング)イギリス、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの原型を作ります。中欧・東欧にスラブ人の国が多数できます。

18世紀末から19世紀にかけて、アメリカ独立戦争の影響を受けてラテンアメリカ諸国がスペイン、ポルトガルから独立し始めました。20世紀に入って第一次、第二次世界大戦。戦後はドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国が敗北。オーストリア、ハンガリー、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、トルコ、さらにイラク、クウェート、シリア、レバノンなどが独立。フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、そして123年ぶりにポーランドが独立。アジア、アフリカにおけるヨーロッパの植民地も次々と独立しました。特にアジアは、日本の「大東亜戦争」のおかげ?で独立運動に火がついた、と言えるでしょう。

第二次大戦が終戦を迎えた1945年、国の数は51でした(そのうちアジアは9、アフリカはわずかに4)。2011年、国連加盟国は193で、アジアは47、アフリカは54です。アジア、アフリカで多くの国が独立した、というのは大変喜ばしいことです。しかし、大きな問題を孕んでいました。ヨーロッパ列強が言語、文化、民族を考慮せずに勝手に国境線を引いて植民地としていたため、国境紛争、民族紛争が絶え間なく起きることになったのです。

独立はしたものの平和は訪れない。経済基盤が脆弱で社会不安が続く。部族の争いも止むことがない。そこへ天然資源に目をつけた先進国が「援助の手」をさしのべる。新たな「見えない支配」が始まる。今のアジア、アフリカを見ていると、そんな悲惨な将来が見えるような気がします。「国破れれば」国民の権利が失われます。生命も財産も蹂躙されます。歴史が消え失せ、言葉、文化が失われます。住民は国を追われて難民となります。「国」を維持する、「国」を守るって大変なことなのですね。国の数が増えれば良い、というものでもないのですね。
(国の数はいくつ?という素朴な疑問から、だらだらとどうでもよいことに言及してしまいました。無駄な時間を作らせたのならば、お詫び申し上げます。)

126.ボーイズ・ビー・アンビシャス

皆さまお早うございます。
寒いですね。会社の前の道路、テッカテカ、ツルッツルで、歩道を渡りきるのに超緊張、恐怖のかたまりでした。皆さんも、専務のメールにありましたように、十分気をつけて行動して下さい。

新能登メール(126):ボーイズ・ビー・アンビシャス 送ります。

Boys, be ambitious ! ボーイズ・ビー・アンビシャス 少年よ、大志を抱け。おそらく誰もが知っている、聞いたことがあるフレーズだと思う。クラーク博士の言葉としてあまりにも有名。そのクラーク博士の胸像は、北海道大学の正門を入り、中央ローン(芝生)を抜けた古河記念講堂前に設置されている。また羊ヶ丘展望台には右手で遙か彼方を指し示している全身像もあり、観光客の人気のスポットとなっている。

ウイリアム・スミス・クラーク博士。1826年7月31日、マサチューセッツ州にて誕生。1844年にアマースト大学に入学。1848年に同大学卒業。 その後ドイツに留学、1852年に成績が非常に優秀であったので20代にしてアマースト大学教授となり、その後マサチューセッツ農科大学の学長となる。アマースト大学には同大学初の日本人留学生がいた。新島襄(同志社大学の創始者)である。明治政府は新島襄の推選を受け、クラーク博士に開校間近の札幌農学校初代教頭(実質的に学長)就任を要請する。1876年(明治9年)7月、マサチューセッツ農科大学の1年間の休暇を利用して訪日。札幌農学校教頭に赴任。校内のすべてを取り仕切った。札幌農学校1期生16名。クラーク博士はマサチューセッツ農科大学のカリキュラムをほぼそのまま移植し、動物、植物学、キリスト教の道徳などを英語で講義した。

翌1877年(明治10年)5月、任期を終えたクラーク博士は北海道札幌郡月寒村島松駅逓所(現在の北広島市島松)で1期生と別れを告げた。そのとき馬上から叫んだ別れの言葉が「Boys, be ambitious !」である。「大志を抱け!」はいかにも立身主義的に聞こえるが、実はこの後に言葉が続く。以下に全文を紹介する。

「Boys, be ambitious. Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.」(少年よ、大志を抱け。金のためではなく、利己的な虚栄のためではなく、名声という空しきもののためではなく、大志を抱け。人間はかくあるべきというすべてのことを達成するために、大志を抱け!)

帰国後のクラーク博士はいくつもの不運に遭い、晩年は心臓病を患い、1886年3月、失意のうちに59歳でこの世を去った。死の間際、「札幌で過ごした9ヶ月間こそ、私の人生で最も輝かしい時だった」と言い残したとされる。

「Boys, be ambitious !」を「少年よ、大志を抱け」と訳した人はエライ。ambitiousは普通「野心的な」の意味だから、「少年よ、野心的であれ!」と訳すのが正しいように思う。しかしそれでは敬虔なキリスト教徒のクラーク博士らしくない。クラーク博士は常々「Be Gentleman !」とも言っていた。常に「紳士であれ」を意識して行動すれば、さぞかし素晴らしい人間になれそうな気がする。もはや「Boys」でもないから、せめて残りの人生、Gentlemanを目指そうかと遅ればせながら思う次第である。

125.北京の55日

皆さまお早うございます。
この前お正月を迎えたばかりなのに、もう師走ですよ!速い、時の経つのが速すぎる。やりたいことを並べて、次々とクリヤしていきましょう。悔いを残さないように!

新能登メール(125):北京の55日 送ります。

義息が、これ面白いよ、と本を貸してくれた。松岡圭祐の「黄砂の籠城」(講談社文庫)。目次と本文の一部をパラパラとみて、アッこれ「北京の55日」だ、とすぐに気がついた。

アメリカ映画「北京の55日」。1963年に公開された(最後の)70ミリ映画。上映時間160分。主演はチャールトン・ヘストン、エヴァ・ガードナー、デヴィッド・ニーヴン。内容を簡単に紹介すると、清朝末期の1900年、場所は北京、宗教団体である義和団が外国勢力の排斥行動を起こし、外国人居留区を包囲した。やがて西太后も義和団を支持し、各国に宣戦布告する。居留区には日本を含む11カ国の居留民約3000人が籠城、それを守る海兵隊、水兵はわずかに500名。たまたまアメリカ海兵隊のルイス少佐(チャールトン・ヘストン)は配下の部隊を引き連れて北京に到着し、居留区の攻防に参加することになる。

1900年6月20日、義和団がついに攻撃を開始した。次第に食料、水が枯渇し、弾薬も不足しはじめる。もはやこれまでかと思われた8月14日の朝、砲弾が義和団の中に落ちだし、義和団が退散し始めた。天津から8カ国の援軍が到着したのである。兵士も居留民も歓喜に包まれた。かくして55日間の籠城が終焉した。アメリカ人ルイス少佐の活躍が称えられた。メデタシメデタシ、という映画である。伊丹十三が日本軍将校の柴五郎を演じているが、ちょい役にしか過ぎない。

そのちょい役の柴五郎は、乱の鎮圧後、イギリスのビクトリア女王をはじめ各国政府から勲章を授与された。ロンドン・タイムスはその社説で「籠城中の外国人の中で、日本人ほど男らしく奮闘し、その任務を全うした国民はいない。日本兵の輝かしい武勇と戦術が、北京籠城を持ちこたえさせたのだ」と記した。総指揮はイギリス公使マクドナルだが、実質的な連合国軍事指揮者の役割は柴五郎中佐であったのである。柴は当時欧米で広く知られた日本人となった。

柴五郎とは何者か。柴五郎は幕末、会津藩士である柴家の五男として生まれた。会津戦争の籠城直前に祖母・母・兄嫁・姉妹は自刃、親戚に預けられた五郎は山荘に隠れていたが、兄たちや父親と再会する。戦後は藩主とともに斗南(となみ:今の青森県むつ市)に移住。陸軍幼年学校、陸軍士官学校へと進んだ。卒業後、各地の砲兵隊、外国の駐在武官などの任をこなし、1900年3月、清国公使館付駐在武官として北京に着任。柴は事前に北京城およびその周辺の地理を調べ尽くしていた。さらには街中に間者を潜らせ情報網を築き上げていた。攻防戦が始まっても、沈着冷静で、居留区の弱点とその対処を各国軍幹部に適切に説明し、篭城部隊の実質的司令官となっていったのである。

総指揮官のイギリス公使マクドナルはのちに初代駐日大使となるが、「日本人こそ最高の勇気と不屈の闘志、類稀なる知性と行動力をしめした、素晴らしき英雄たちである」と日本兵を褒め称えた。そしてのちに日英同盟を締結する。柴五郎は1945年、戦争終結直後の9月15日に自決を図る。老齢のため死に至らなかったが、同年12月13日、その怪我がもとで病死。享年85歳であった。「黄砂の籠城」、オススメ!

124.声が出ない

皆さまお早うございます。
先週の火曜日にタイのプーケットに行き、泳いで、飲んで、読んで、焼けて、うたた寝して、昨日帰ってきました。あっちは気温34℃、こっちは4℃。30℃もの気温差で、体がついて行きません。とにかく寒い!幸い出発直後から降った雪が全部溶けていて、まずはメデタシ、です。

新能登メール(124):声が出ない 送ります。

私事で恐縮です。私、近頃、というか2~3年ほど前から、午後になると声がかすれる、という状態になることが多くなりました。まあ、もともとハスキーではあったのですが、力を込めて発声しないと声にならない、滑舌が悪い、音圧が低くて聞き取れない、だから相手はイライラしながら聞き直す、という状態になるのです。夕方の会合や懇親会の席で「どうしました。風邪ですか」とよく聞かれます。「実はそうなんです」と応えています。

どうしてそうなったのか。おそらく声を発する機会がほとんど無くなったため、と思います。若い頃は、議論する、協議する、指導する、怒鳴りつける、褒めあげる、などなどの毎日で、常に声を発していました。つい最近までは会合冒頭の挨拶、〆の挨拶・乾杯など、それなりに声を発する機会がありました。それらの役目も卒業し、当社札幌支店に席を置いてからというもの、ときには朝から晩まで声を発する機会がない、という状態になりました。イヤその、仕事をしていないという意味ではありません。報告や回答、意見などはメールで事足ります。最近手にしたスマホではラインなるものですべて対応できます。電話することがマレになってます。ますます声を出さない環境になりつつあるのです。

風邪の症状があって、近くの耳鼻咽喉科に行きました(風邪は内科より耳鼻咽喉科が適切です)。丁寧にいろいろと調べてくれましたが、鼻から細い内視鏡を入れて喉のあたりをチェックします。そして言うには「声帯の上部が劣化していますね。声がかすれるでしょう。まあ老化現象ですね。声をなるべく出すようにすると声帯もかなり元に戻りますよ」。

どんな器官でも使わないと能力がダメになります。歩かなければ足腰がダメになり、喜怒哀楽を顔に出さなければ顔は能面化します。一番大事なことはボケないこと。そのためには脳を使うのが一番です。脳の細胞を活性化するためには、指を動かす運動や趣味を継続して行うこと、そして人と話すことです。「国家の品格」で一躍有名になった数学者藤原正彦は「1日に6人と話せばボケ防止になる」と誰かから聞いて、極力実行しているのだそうです。食事の度に店の人に話しかける、豆腐屋の90近いおばあさんに、客引きのお兄さんに、犬を散歩中の下駄履きおばさんに話しかける。清純そうな娘や品の良い中高年女性、肉感的な女性に出会えば道を尋ねる。それなのに出張でホテルにジッといたりすると声がかれ始めるのだそうです。(藤原正彦「管見妄語 できすぎた話」新潮文庫より)

我がワイフも私の声がれが心配になって(というか、耳障りが悪いので)、こんなサプリメントはどうか、こんな運動すれば治るかも、蜂蜜が良いかも、そしてついにはオリーブオイルをひと匙飲むと良いらしいとあまりにも真剣に言うので、半ば強制されて会社の本棚にとりあえず高級オリーブオイルを置いて、何度か飲んでは見ました。されど効果があったかどうかはよく分かりません。そうこうしているうちにあるときカラオケに誘われました。やはり声がかすれて自慢の美声が出ません。無理に声を張り上げるので音程も微妙にずれます。かなり落ち込みました。それでも人の迷惑顧みず(というか、無理矢理順番に)2曲、3曲と歌っていて、4曲目。何と思うように声が出始めました。それからというもの今までの鬱憤を晴らすかのように歌いまくりました。そうなんです。「どんな器官も使わないとダメになる」のです。声がれは、カラオケで治るのです。もうすっかりカラオケを卒業したつもりでおりましたが、声がれ改善のため、またぞろ新曲を覚えてカラオケに挑戦しようかと意気込んでいるところです。


プロフィール

Author:能登繁幸
「ちょっと斜にかまえたエッセイ集」の第1集、第2集、第3集、ならびに毎週発信の「新能登メール」を収納。

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