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Ⅰ 書きためたエッセイいくつか

オーリングテスト   SRC Report No.300 2009.11

盗難防止用タグ    SRC Report No.308 2010.7

偶然の連鎖      (未発表)2010.10

くつー!       道路五月会会報「薫風」No15、2011.5

就寝前の10分間   SRC Report No.334 2012.9

ただいま禁煙中    「能登メール」より 2012.9
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書きためたエッセイいくつか(本文)

オーリングテスト


今から2年ほど前、やっと我が家に孫が生まれた。可愛くて可愛くて、どうしようもない。「目に入れても痛くない」と言うが、本当だった。毎日ベビーバスでの沐浴。これが楽しみで、会社は定時に帰るし、飲み会があっても一次会ですんなり帰った。毎日それを続けているうちに、ちょっとだけ腰が痛くなってきた。しかしまあ、それほど気にしたものでもない。やがて2ヶ月もした頃、孫は娘夫婦と東京へ。心にぽっかり穴が空いたようだった。

それから2週間ばかり経った頃、動くと腰に痛みが走り出し、やがて腰を曲げるのが苦痛になってきた。風呂でのシャワーはきついし、靴下を履くのも一苦労。ついに会社近くの整形外科に行くことにした。早速レントゲン。結果は「老化です」。老化のために椎間板が狭くなり、椎体も角張っていて、それが筋肉にぶつかって痛みが出るんだそうだ。孫の沐浴で中腰の姿勢を続けたために、一気に症状が現れたらしい。早速その場で鍼をして頂いた。それから3日ほど経っても、さっぱり良くならない。

「○○治療院がいいんじゃない?」と上の娘。娘は少し前に首が痛くなり、知人から紹介されたその治療院に行ったことがある。何やら不思議な治療をすると言う。3回ほどの通院治療で娘の首の痛みは確かに消えた。「面白いから行ってみてよ」との勧めで、何が面白いのか分からず、ダメもとで行くことにした。年若いオッサンが一人、白衣を着て待っていた。治療室には簡易ベッドと、奇妙な付属品がついたベッドらしき台がある。その台は胃のバリウム検査のときのように回転するようだ。横たわるところは十数個に分割されていて、それぞれが単独で動くようになっている、とみた。

まずは、「ハイ、そこに座って」といわれるまま簡易ベッドの端に腰掛ける。「悪い部分を探しますので、親指と小指で輪を作ってください」といわれた。「ハッ?」である。訳が分からないまま、親指と小指で輪を作る。「悪い部分に触ると、簡単に指が離れるんですよ」と先生。腕をスーッと撫でたあと、こちらが作った輪をクイッと両手で引っ張る。指は離れない。「ヨシッと」と先生。腰のあたりをスーッと撫でる。指がカパッと簡単に離れる。「ウン、○○筋がダメか」と先生。それから先生は忙しい。あっちこっちを撫でては指で作った輪を引っ張り、指が離れるたびに「○○筋」とつぶやき、机の紙にメモしてゆく。

「センセー、これはいったい何なんですか?」と自分。「オーリングテストです。悪いところを調べているのです」との返事。それからしばらくオーリングテストの説明があったが、どうにもうさんくさい。それでいて、指で作った輪が簡単に離れる現象を目の前にしているから、全くのデタラメでもないような気もしてくる。先生は説明のあと、例の奇妙なベッドに案内した。ベッドが回転する。いくつかの部品が動いたようだ。正しい姿勢のところで部品が止まったようにも感じた。先生は足の長さを揃えたり、頭の位置をちょっとずらしたり、ときには仰向け、ときにはうつ伏せとなり、そして指で輪を作らせては両手で引っ張ることを繰り返した。かくしてほぼ1時間。治療?は終わった。気のせいか、幾分腰が楽になったように感じながら、帰途についた。

どうにも納得がいかない。早速インターネットで調べてみた。「オーリングテスト」で検索すると、かなりの数のサイトが現れた。正式にはBi-Digital O-Ring Testといい、ニューヨーク医科大予防医学教授、国際鍼・電気治療大学(さっぱり聞いたことがない)学長などを兼任する大村恵昭先生の考案による新しい診断法と治療なんだとか。
 簡単に言えば、臓器に異常が生ずると、その体表に過敏な部位ができる。そこを触ると、脳から抑制がかかって筋力が弱くなり、オーリングが開いてしまう。 大村先生は、1977年にこの現象を発見し、長い年月をかけて研究し、現在は実際の臨床の場で使用できるまでに発展させた。この筋力が変化する現象は、昭和大学の生理学教室で筋電図を利用した実験で証明されたが、そのメカニズムは完全に解明されていない。現在、日本、アメリカ、ロシア、ヨーロッパなど多くの地域、国で研究され、また、実際の診療の場で応用され、癌の早期発見、早期治療をはじめ、難病、原因不明の病の治療に大きく貢献している。

思わず「へ~!」である。ネットで調べているうちに、オーリングテストの応用例のすごさに驚かされた。様々な物質が体にとって有益かどうかの判断にもオーリングテストが使えるというのだ。たとえば緑茶や無農薬の野菜・果物などの体に良いものならばリングの力が強くなり、逆にタバコなどの体に良くないといわれているものを手に持ってテストをすれば、簡単にリングが開いてしまう、というのだ。それまでオーリングテストの不思議さに感心していたが、ここまでくるとかなり怪しい。ほとんどオカルト、新興宗教の世界。

ともあれ、理屈は理解した。○○治療院では治療すべき箇所をオーリングで見つけ、治癒状況をリングで確認しているということだ。翌日、腰の痛みが相当取れていた。数日後、再び治療院へ行った。奇妙なベッドでの骨格矯正らしき治療が行われ、その都度オーリングテストの繰り返し。初診時にあれほどリングがよく開いたのに、今回は相当少なくなっている。このあと2回、都合4回の治療で腰痛はほとんど消え失せた。オーリング恐るべし!(2009.11)

追記1:「センセー、このオーリングテストで頭が良いとか悪いとかも分かるんですか」と冗談で聞いてみた。「あぁ分かりますよ。左手を額のあたりに付けてください。ハイ、右手でオーリング」。そして先生はグイッと引っ張る。「大丈夫のようですね」と先生。どうも頭に疾患があるかどうかを調べたようだ。この先生、性格は極めて真面目らしい。

追記2:腰痛に関しては、その後、定期的に鍼灸院に通っているせいで、生活に不便を来すことが無くなった。ところが最近(2009年10月頃)、突然に左手の薬指半分と小指がしびれ出し、数日経っても治らない。ネットで調べたら頸骨がどうのこうのと書いてある。心配になって近くの整形外科に出かけた。「頸骨に異常はない。左肘の尺骨神経が圧迫を受けてしびれ症状が出た。肘部管症候群だ」とのこと。長年にわたり左肘に圧迫を加えたせいらしく、これも老化の一つらしい。で、しびれを治すビタミン何とかの薬をくれた。ところが数日経ってもしびれは治らない。そこで、ふと○○治療院が頭に浮かんだ。さっそく予約の電話を入れて訪ね、症状を説明。例によって懐かしのオーリングテスト。左肘が問題のはずなのに、足の長さを揃えたり、首を動かしたり、腰の指圧をしたり…。都合3回通った。いつしかしびれが消えていた。何とも不思議なのであった。

追記3:本文が某誌に掲載されてしばらく経った頃、一本の電話が入った。「あの~、私釧路に住んでいるものですが、オーリングテストをするという○○治療院の住所と電話番号を教えていただけないでしょうか」。聞けば、奥さんが腰痛で悩んでいて、あちらこちらの病院にかかったが治らない。ダメもとで是非とも○○治療院に行ってみたいというのだ。たとえ効果がなかったとしても、私は責任をとりませんよ、ということで住所と電話番号を教えた。とはいえ、○○治療院は最低でも3~4回通う必要がある。電話の主の奥さんは釧路から何度もサッポロに通うのだろうか。それだけでも腰痛になりそうだが、その後どうなったのか、いささか気になっている。



盗難防止用タグ


知人夫妻2組と我ら夫婦の計6名でバリ島に行ったのが2007年2月。それがメッチャ楽しかったものだから、今度はハワイだね、ということになって、2008年3月上旬、ハワイ島3泊、オアフ島2泊の5泊7日の旅行と相成った。ハワイ島でのキラウエア火山見学、満天の星観測ツアー、ホノルルでのポリネシアンダンスショウを観ながらのサンセットディナークルーズ、もちろんプールサイドでのうたた寝、などなど楽しい時間を持ったが、それはこの際置いておくことにして…。

せっかくのリゾート、何にもしないでプールサイドでのんびりしていたいのだが、ショッピングに行かなければと張り切っている女どもを無視するわけにも行かない。最終日前日、「半日くらいなら」という条件付きでショッピングに付き合うことにした。DFSをぶらつき、オリオリバスでアラモアナ・ショッピングセンターへ。それぞれ夫婦がバラバラになってあちらこちらと見て歩く。孫の帽子、洋服、娘たちの洋服など購入。とある店にて(DKNYという有名ブランドらしい)ワイフが試着。ブラウスとスカートが繋がっている奇妙なデザイン。気に入ったワイフが「これどう?」と尋ねるが、まあ、お好きにすれば、くらいの返事。つれない態度のせいか、買うのをやめたワイフ。

その夜は最後の夜だというんで、街に繰り出し焼き肉ディナー。ワイフが何か考え込んでいる。「やっぱり、あのお洋服、買いたいなあ」とつぶやいている。食事が終わって店を出たのが8時。「アラモアナにもう一度行きたい。一人で行けるかなあ」とワイフ。「もうこんな時間だから諦めろ」といっても、「まだこんな時間だから」とワイフ。何が何でも行く気らしい。だけど、一人で行けるはずがない。不機嫌をはっきり顔に出しながらも一緒に行くことにした。そして再びアラモアナ。DKNYに直行。お目当ての洋服を購入。と、ここで急に、娘にも同じものをと思ったらしく、やや小さめのサイズの服も追加購入。満足そうなワイフの顔。

無事帰国。トランクを開けてお土産の整理。DKNYの洋服を取り出して、「やっぱり買って良かった」とワイフの嬉しそうな顔。そして娘用の服も取り出して、ハンガーに掛ける。何やら裾のあたりにプラスティック様のものがぶら下がっている。何だこりゃー、とよく見ると、どうも盗難防止用のタグらしい。アラモアナで急いで追加購入したものだから、店員が取り外すのを忘れたらしい。どれどれと手にとって、回す、引っ張る、押す、色々試すが外れない。外れなければ着ることもできない。やや呆然。

翌日、ワイフはDKNYを扱う札幌のデパートに電話。とりあえずお持ちください、とのこと。で、持って行ったが、この手の盗難防止タグは見たことがないので東京に送るとのこと。それから2日ほど、東京でもダメでした、との返事。ダメでしたと言われても、我々はどうすればよいのだ。責任を持って何とかしてくれと頼み込んでも、ハワイで買ったものだから責任は無いような回答。お客様ご自身で考えてくれ、ということらしい。

方策はいくつかある。買った店に送り返してタグを外してもらう。何とかして自分で外す。タグを付けたまま着る。…まあ、自分で外す、が妥当か。それから2日ほどしてワイフが洋服を持ち帰ってきた。さあ、どうする。こんなときにはインターネット。サイト検索をしていたら、あるある、同じような経験をしている人が結構いるモンだ。くまなく経験談を読んでいくが、大半が国内で購入した洋服に付いているタグの経験。これは購入した店に持ち込めばすぐに外してくれる。インドネシアで購入した人の場合は、タグに染料が入っていて、無理に外したら液体が飛び散って無惨な状態になったとか。我が家のタグとは別物らしい。いろいろ検索を進めているうちに、英文にぶつかった。それを読んでいくと、我が家と同じタグ。最初の文章は「どうしたらよいのでしょうか」で終わっているが、その後にいろんな方々からの提案があったことを述べている。面白いので、以下、無断で転載する。

Most people suggested using a magnet, which did nothing. Another large group of people said take it back to the store and have them do it. Screw that; it's more fun to try it myself than to give up and drive to a loathsome mall. Some people told me to try putting a rubber band between the two pieces and twisting more and more loops around the pin. That didn't work either. Other people suggested pinching the "nose" part of the clip on both ends with two pairs of pliers, and then pulling out the pin. Nope. Finally, I tried one guy's suggestion to hit the button with a hammer, which would cause it to split the clip open. The only thing that did was pinch the button down against the shirt. Since I already had the hammer, I hit the side of the clip, along its seam. After a few whacks, it split open. Here's what the innards look like. Nothing magnetic in there. I think the people who suggested pinching or bending the clip were on the right track.
(かなりの人が磁石を使えばいいと言うが、ダメだった。ほとんどの人々が買った店に持って行けと言うけど、自分で何とかしたい。ある人は、輪ゴムを巻いてねじってみろ言う。しかしそれもダメ。プライヤーで「鼻」の部分を挟んでピンを引き抜けという人もいた。これもダメ。ハンマーで叩き壊そうとしてもなお一層締まるばかり。そこで、側面を何度もハンマーで叩きつけた。するとパックリと割れた。中は写真に示すとおりで、磁石は入っていない。クリップ部分を挟んだり曲げたりしろと言った人が正しかったようだ。)

というわけで、ご丁寧に分解した後のタグの状態を写真で示していた。何となく仕組みは分かった。そこで、早速、ドライバーセットを持ち出し、先の尖ったドライバーをタグの横にある小さな穴に差し込み、金槌で叩くこと十数回。少しずつプラスティックの破片は生ずるが、本体はびくともしない。わずかの作業で汗ビッショリ。その日、マンション外壁修繕工事説明会があったから、破壊作業を途中で投げ出し、説明会場に向かった。ワイフはドライバーを叩き続けていた。

我が家に戻ると、「見て!」とワイフ。何とタグが外れているではないか。懲りずにドライバーを差し込んでは叩き続けていたら、反対側に突き通し、その穴を覗いたところ、何やら針金のようなものが見える。それを動かしたら、カチンと外れたというのだ。洋服にはほとんど見えないくらいの穴が空いただけ。やれやれだなあ。で、そのタグだが、未だ我が家のテーブルの隅に置いたままなのだ。これだけ奮闘したのだから、簡単に捨てるにはどうにも悔しい、ということらしい。(2010.7)



偶然の連鎖


平成22年8月下旬のこと、四国松山で某学会の全国大会があった。四国に行くなど滅多にない機会なのでワイフを誘い、友人夫妻にも声をかけたところ二つ返事で乗ってきた。そこで一緒に金比羅さん、かずら橋、桂浜などを訪ねることにした。学会中日に交流パーティがあった。そこで香川高専の学長をしている知人にたまたま出会い、積もる話に花が咲いた。ふと何気なく「明日、金比羅さんに行くんですよ」と話したところ、「それならまずタクシーで神椿(かみつばき)に行かなくちゃあ」という。「なにそれ」「金比羅さんの中程に出来た資生堂パーラーで、ここのフルーツポンチを食べなくてはダメだよ。とにかく絶品なんだから」「どうやっていくの?」「琴平の駅前にタクシーが並んでいるから、それに乗ればいい。神椿を知らないタクシーはモグリ同然だからすぐ降りなさい」「へぇ」「それにね、神椿から本殿までは200段ほどで、楽々上がって行けるからね」「ありがとうございます」

翌日レンタカーで琴平に向かった。車の中で友人夫妻の奥さんがチラシらしいものを見せてくれた。飛行機の機内誌に祖谷(いや)そばの紹介があったので切り取ってきたとか。祖谷そばは、腰の弱い特殊なそばだそうで、国道脇の「もみじ亭」でどうぞお召し上がり下さい、と書いてある。しかし、琴平で讃岐うどんを食べることになっているから、祖谷そばは食べないだろう。琴平に着いた。市営の駐車場に車を止め、駅前のタクシー乗り場に行く。さっそく運転手さんに「神椿に行って下さい」「ハイッ了解」。4人が乗ってタクシーは出発。「神椿って有名なんですか」「ああ誰でも知っているよ、この辺じゃあ」。タクシーは門前町を素通りして山道に入る。車1台がやっとの細い道。くねくねと走る。大丈夫かいな、こんなところにホントにあるの?と不安になる。と、前方に突然瀟洒な建物が現れた。中に入ると冷房が効いていて快適。さっそくフルーツポンチを頼む。私自身は滅多に口にしないものだから、味がいいのか悪いのかはよく分からない。それでも女どもはしきりに「美味しい!」を繰り返している。

食べ終わって正規の玄関から外に出ると、そこに金比羅さんの石段があった。気温は間違いなく35度を超えているだろう。汗が一気に噴き出す。石段を上り始めた。意外と辛い。ゆっくりゆっくり上るが、息が切れる。休みながら200段ほど上ると御本宮にたどり着いた。木々が鬱そうと茂っていて、風はほとんど無い。湿度100%か、全身から汗。しばし休憩。さて下りるとするか。上りよりは楽だろう…はやがてとんでもない間違いだと知る。300段ほど下りて、足が突っ張ってきた。全部で785段もあるのだ(悩む<786>の一歩前なのだそうだ)。みんな無口になってきた。暑くて気が遠くなりそうだが、とにかく下りないことにはどうにもならない。残り100段ほどになると両側にお店が並ぶようになってきた。だが覗いてみる気にもならない。そろそろ昼頃なのに食欲も湧かない。それでも何か口にしないとダメだろうなあ、とたまたま目に付いたお団子屋に入ることにした。冷房が効いていた!スダチが入っているような味の水が無料だった!お団子1個食べて、少しだけ元気になった。

やっと一番下まで辿り着いた。見上げるとず~っと上まで石段が続いている。よくぞ下りてきたもんだが、しかし神椿のお陰で上りは1/3ほどの短縮コース。これが香川の先生に会わず、何も知らずにまともに石段を上っていたらどうなっていたのだろう。御本宮に辿り着く前にギブアップしていたに違いない。当初の予定では名物讃岐うどんを食べるはずだった。しかし誰も食欲が湧かない。そのまま祖谷(いや)のかずら橋に向かうことにした。国道を走ることしばし。祖谷渓に近づいた頃、目の前に「もみじ亭」の看板。あっこれ機内誌にあった祖谷そば!ヨシッそばを食べようと言うことになった。誰もが疲れも取れて空腹を感じていたのだ。不思議なそばだった。箸でつまむとぶちぶち切れる。そばなのにつるつると食べることが出来ない。箸でかっ込むしかないのだ。それでも空腹だったせいか、旨かった。機内誌の記事がなかったなら、見逃していただろうに。妙な偶然のお陰である。

祖谷のかずら橋を渡った。日本三奇橋の一つ(だそうだがあと二つはどこ?)。葛のツタを用いた吊り橋で、橋床の板がやたら細くて間隔が空きすぎ。注意深く歩かないと落ちそう。やや恐怖に駆られながら渡ってきた。さて、あとは高知まで突っ走る。当初の予定では夕方6時頃に高知市に到着のはずが、神椿のお陰で金比羅さん短縮コースを取ったため5時ちょっと前に高知市に入った。レンタカーを返す前にホテルに荷物を預けることにした。まず友人夫妻のホテル。荷物を預けた友人が何やらチラシを持ってきた。「よさこいアンコール開催中、午後6時より」と書いてある。よさこい祭りは8月中旬に終わっているが、観光客用に小規模ながら「大橋通」でよさこい踊りが見られるらしい。これは行かねばなるまい。我々の宿泊予定のホテルに回って荷物を預け、高知駅前でレンタカーを返却。レンタカー屋で「大橋通」を尋ねると、歩いて10分くらいだという。それなら歩こうか、となった。

駅前通りを地図を頼りにはりまや橋方面に歩き出す。夕方になってもまだかなり暑い。ジワリと汗。10分を過ぎたのにやっと帯屋町アーケード。蒸し暑いアーケードの中を歩く、歩く。「すいません。大橋通ってどこですか?」と通行人に聞くと、「ああ、このアーケードが切れるあたりです」。まだかなり先。もう6時も回ったし、よさこいなんてもうどうでもいいか、てな気持ちになった頃、よさこいらしき音楽が聞こえてきた。アーケードの外れ近く、角を曲がったら踊っていた。鳴子を手にした老若男女30人ほど。面白い。しばらくの間見とれていたが、もう終わりに近いらしい。ふと見ると、友人がテントの中の事務局のお姐さんらしき人と何やら談話中。オススメのお食事処を聞いていたらしい。このお姐さん、どこぞの旅館の女将とのこと。教えて頂いたお店の名前は「のんだくれ」、帯屋町アーケードの入り口近く。歩くのはもうイヤ、タクシーに乗ることにした。

この辺のはず、というタクシーの運転手さん。降りたものの「のんだくれ」は見あたらない。うろうろ探しまくって、諦めかけて、タクシーを降りたあたりに戻ってみると、あった。「呑んだ久礼」。しかも「呑んだ」がやたら小さい字で「久礼」だけが目立っている。これじゃあ分かるはずがない。お店に入ると「いらっしゃい!お待ちしておりました!」と、4人分の席が確保されている。あのお姐さんが電話してくれたとのこと。親切心に頭が下がる。諦めないで良かった。あやうく「北海道の人は信用ならない」と言われるところであった。さっそく高知の名物料理、鰹のたたき、皿鉢(さわち)、どろめなどを頼み、お酒「久礼」を呑む。そうか、「久礼」はお酒の名前だったのか。

店の大将もしきりに顔を出し、愛想がよい。明日はどこに行かれるんですか、と聞くから「タクシーを借り切って、高知の名所を回るつもり」。「もうどこのタクシーか決まってるんですか」「イヤまだ」「ああそれなら私、タクシー会社の社長を知ってますから、電話してみましょうか」。大将は電話を取った。「4万円だそうです」「高すぎ!」。大将は何やら話している。「2万8千円でどうでしょうか」「ウ~ンまあいいか。お願いします」で話がまとまった。大将のお陰で3割引になった。明日9時にホテル前にて待っているとのこと。

翌日、9時少し前にフロントに降りると、ホテルの前に既にタクシーが待っていた。さっそく乗り込んで、友人夫妻をピックアップして、さあ、市内観光。龍馬生誕地、饅頭屋(近藤)長治郎生誕地、龍馬の姉・乙女の所在地、桂浜、龍馬の銅像、龍馬記念館。とにかく龍馬ばっかりなのだ。龍馬記念館を出てタクシーに乗り込んだとき、ワイフが言う。「どうしたの?足が痛いの?変な歩き方をしていたよ」「ウン、歩き疲れてちょっと足が痛いかな」。それを聞いていた運転手さん「これ、手に嵌めてみますか?」。べっ甲色したセルロイドのような腕輪を手渡してくれた。「何ですか、これ」「それを手に嵌めていると、疲れが取れるんですよ。普段は左腕なんですけど、疲れがひどいときは右腕に嵌めてください」「ハァ~」。せっかくのご好意だ。ダメもとで右手に嵌めた。

次に向かったのは龍河洞。階段が続き、人一人やっとの狭いところもある。寒いほどにひんやりした鍾乳洞だったが、外に出ればぐったりするほどの暑さ。タクシーに戻ったら「腕輪、いかがです?」と運転手さん。そういえば、かなり階段の上がり、下がりをしたのに、疲れが無いようだ。「効果があるような気がします」「そうでしょう。それ、世界7カ国の特許を持っているんです。肩こり、腰痛、筋肉痛なんかに良く効きます」。何やらうさんくさい。友人の奥さんが「私肩こりがひどくて、旅行のたびにマッサージを受けて居るんですけど、それで治りますか」と言うから、「じゃ、試しにこれ、してみる?」と、腕輪を渡した。昼食を取って、岩崎弥太郎の生誕地に向かった。かなり遠い。NHKの大河ドラマ「龍馬伝」では龍馬の家と隣近所のような設定だが、あれはウソらしい(それに龍馬と弥太郎の接点はかなり後だそうだ)。龍馬の家まで歩くとすれば半日がかりの距離だろう。ドラマでは超貧乏でみすぼらしい弥太郎の家は、それなりにしっかりとした造りで、貧乏くささが感じられない。かなり前から三菱グループが多額の寄附を行い、弥太郎の生家の維持管理を行っているんだとか。三菱財閥の創始者なのだから、さもありなん。

高知市内に戻って、次は高知城。ゆっくり石段を上っては行くが、暑さと疲れで足が動かなくなりそう。天守閣に登るのは諦めた。友人の奥さん、腕輪のせいか、それほど疲れた様子がない。タクシーに戻って「これ、どうすれば買えるのですか」と奥さん。「床屋さんです」「ハアー?」「私の友達なんですけど、それ、売ってるんです」「おいくらですか」「8千円ほどですよ」「エッ、結構高いんですね。でも、マッサージ1回5千円ですから、すぐ元が取れるか。買おうかな」。すると我がワイフも「うちも買おうかな。その床屋さん、お店は遠いんでしょうか」「ここから20分ほどかかります」。既に5時近い。これから往復40分は、ちょっとばかり躊躇する。タクシーは最後の目的地、高知駅そばの「龍馬であい博」に着いた。

「であい博」を出てタクシーに戻ると、「明日、空港までタクシーで行きませんか」と運転手さん。4人なので、空港連絡バスの運賃とそう変わらない。「ああ良いですよ」「実は床屋さんに電話したら、腕輪の在庫があるそうで、何なら明日のお迎えのときに持ってきましょうか」ってなことで、友人と我が家で一つずつ買うことにした。ホテルに戻る途中「乳液などの化粧品があるでしょ。その化粧品のビンに腕輪を通してみてください。化粧品が滑らかになって、スーッと肌にしみ込むようになりますから。それと、ズーッと付けっぱなしで結構ですから。お風呂も寝るときも」と運転手さん。ますますうさんくさい。怪しい。どういう理屈で疲れが取れ、化粧品が滑らかになるというのだ。理系の自分としては納得が出来ない。しかしワイフが買うと決めた。まあいっか。

翌日、腕輪を買った。MICA加工ヒーリングブレスレットと書いてある。帰宅後、ネットで調べてみた。今のところ怪しいものかどうか、よく分からない。今、我が左手にある。効果があるのかどうか、これもよく分からない。信じるものは救われる、か。ともあれ、妙な偶然の連鎖で腕輪にたどり着いたことだけは確かだ。香川高専の学長にたまたま遇ったせいで神椿、短縮コースの金比羅さん、それでも疲れて讃岐うどんを逃しはしたものの、たまたま機内誌のせいで祖谷そば、高知に予定より早く着いたせいで「よさこいアンコール」、そこでお姐さんに遇ったから「のんだくれ」、そこの大将のお陰で2万8千円のタクシー借り切り、その運転手さんのせいで腕輪の購入。人生、所詮、偶然の所産なのかも知れない。次は、この腕輪のせいで、また新たな偶然に出会うのかも知れない。楽しみでもある。(2010.10)



くつー!


名古屋のKさんから、息子の結婚祝賀会に夫婦で出席していただけないか、という電話があった。その息子からも、祝賀会で是非スピーチをお願いしたい、とメールが入った。あとで述べる事情により、快く承諾し、礼服を抱えて名古屋に飛んだ。場所は桑名の「ROCCA」というところ。レストランらしい。礼服に着替えて準備万端、それでもまだいくらか時間がある。Kさんご主人が「お時間まで、六華苑でも見学されてはどうですか」と言う。レストランの大きなガラス窓の向こうに、由緒有りそうな洋館が見えている。ぶらりと見学することにした。

六華苑は、桑名では有名な二代目諸戸清六の屋敷だとか。大正2年(1913)に竣工した洋館、和館、その他からなる大邸宅で、木造2階建の洋館の設計は、ニコライ堂や鹿鳴館の設計で有名なイギリス人建築家ジョサイア・コンドル(日本近代建築の父といわれている)が行ったものだそうだ。当時、洋風建築に和館が併設されることが結構あったらしいが、ほとんどの場合、和館と洋館は別棟として建てられるか、洋館の一部を和室にする程度。ところがこの旧諸戸邸は本格的な和館がダイレクトに洋館に接続している。きわめて珍しい建物なのだ。平成9年に国の重要文化財に指定され、庭園は一部を除き平成13年に国の名勝に指定されたそうだ。

ちらほらと一般客もいる。洋館横の玄関で靴を脱ぎ、ちょっとの時間だから、わざわざ下駄箱に靴を入れるまでもなく、靴を揃えただけにして中に入った。天井が高く、当時の調度品が並べてあったりして、なかなか豪華な様相の洋室、和室を見て歩いた。さてと、そろそろ祝賀会場に戻ろうか。で、玄関に戻ると、靴がない!下駄箱を見ると、くたびれた靴が一足入ったまま。誰かが間違って履いていったのか!そばで見ていた六華苑の事務員が、慌ててくたびれたボロ靴を持って走った。「誰か、靴を間違えていませんかー!」

しばらく待っては見たが、該当者無し。間違って履いていったとは思われない。こちらは新品同様のひも付きの靴、かたやひもなしの偽革靴。私の靴はひもをきつめにしてあるから、すんなりと入るはずもない。明らかに誰かが故意に他人様の靴を履いていったに違いない。どうしましょう、と六華苑の事務員。どうしましょう、ってこっちが聞きたい。そろそろ祝賀会が始まる時間だ。呆然と立ちつくしていても埒があかない。恐る恐る、くたびれたボロ靴に足を入れた。あ~ぁ~何とも不快な感触。足のそこかしこからミミズがはい回るかのような不快感。不思議とサイズがぴったし。薄汚れた靴が礼服のズボンから見え隠れ。この格好で、まもなくスピーチ!ガックリと肩を落としながら、祝賀会場に向かった。

祝賀会が始まった。新郎新婦が幸せいっぱいの顔で入場、出席者も祝福の笑顔で迎える。一人落ち込んだままの自分。足のつま先から腐りかけているような違和感。なるべく足を動かさないで、じっと我慢。隣近所の方との談話も気分が乗らない。「明日朝一番で、新しい靴を買いましょう」とワイフの慰め。やがて、自分のスピーチの番が来た。足元が気になりつつも、笑顔を作ってマイクの前へ。

「T君、結婚、おめでとう。ご両家の皆様、本日は誠におめでとうございます。さて、今から25年ほど前、T君がまだ小学5年生くらいだと思いますが、Kさん一家が我が家のそばに転勤してきました。T君と我が家の娘が同じ小学校。子供を介して母親同士の付き合いが始まり、やがて家族ぐるみの付き合いとなりました。何度も一緒に遊び、一緒に食事をしたりしましたが、それがT君の人生を左右する結果になるとは思いもよりませんでした。
 普通、子供は親の背中を見て育ちます。T君のお父さんは運動神経抜群のスポーツマン。野球はピカイチ。ひょっとしたら今頃は中日の選手。あるいは中日の監督になって北海道日ハムと戦っていたかも知れないのです。
 一方私は土木屋。土木の世界もいろいろ分野がありまして、私は、地盤の沈下とか、斜面の崩壊などを扱う地盤工学が専門です。本来ならば、T君も父親の影響を受けて、野球選手になるために頑張るはずです。ところが、T君、どういう訳か、土木の道を歩み始めた。到底父親を超えられないと諦めたのか、土木屋に魅力を感じたのか、その辺のところがよく分かりません。
 中学を卒業して高専に入学。土木工学を専攻。よりによって私と同じ地盤工学の分野に進んだ。つまり父親ではなく、私の背中を追い始めた。その後も私が技術士の資格を取ったら、T君も技術士の資格を取る。簡単な試験ではありません。合格率15%という難しい試験です。しかも合格者の平均年齢は41歳。20歳代のT君が合格するはずはないのです。それを一発で合格した。ひょっとしたら、T君はメチャメチャ頭がよいのかも知れません。
 その後、私が工学博士の学位をを取得した。そうしたら、T君はことも有ろうに、地盤工学の分野で世界的に有名な東大のT先生のところの博士課程に入学。そしてこの度めでたく博士号を取得。こいつはただ者ではないようです。
 さらにさらにこの度は、これまた私と同じく、素晴らしい美人の女性を射止めました。惜しいことに一つだけ私とは違うところがあります。それは、私のワイフよりも一回りスマートな女性を娶ったことです。悔しい限りであります。
 そんなわけで、T君はまるで私の背中を追いかけるかのように成長してきました。彼の人生に対し、私も少なからず責任があると感じます。ここまできたら仕方ありません。これからも暖かく見守っていこうか、と思う次第であります。
 私は自慢できるほどの楽しい幸せな家庭を築いています。私の背中を追いかけてきたT君ですから、きっと幸せな家庭を築くことと思いますが、せっかくの機会ですから、一つだけ、幸せな家庭を築く秘訣を伝授します。それは、お互いに適当な心地よい距離を見つけること。べったりと近づきすぎてもダメ、遠く離れ過ぎてもダメ。ちょうど手が届くくらいの距離。数字で表せば53.8センチです。冗談です。ゴサンパチのでたらめです。とにかくちょっとだけ離れていること、それが大事。
 さて、二人は今、赤い糸でしっかり結ばれました。その赤い糸をつま弾きながら、二人で泣いたり、笑ったりしてください。そうすればいつかしら幸せな家庭が生まれています。幸せになれよ、T君!」

再び席についても、足元からイヤーな感触が全身に伝わってくる。隣近所とお話をしながらも、どこかさめた気分が抜けない。かくして3時間。やっと結婚披露宴は終わったものの、Kさんから「別席を用意してありますので」と言われた。早くホテルに帰って、靴を脱ぎたい。されど、別席を断るわけにも行かない。T教授らの来賓とともにタクシーに乗って、とある料理屋に行くことになった。ぼろ靴を脱ぎ捨て、座敷に上がる。親戚の方々も参集して15人ほど。賑やかに二次会が始まった。

向かいに座った親戚の方は九州から来られたとか。ダジャレの連発で、座が盛り上がる。かなりの宴会部長的存在だ。参会者が爆笑の連続。とはいえ自分一人、頭から「ボロ靴」が消えない。そんな折、何かの話しの繋がりで、我がワイフが「靴を間違われてしまった話し」をしてしまった。盗まれたとは言わなかったのは、ご当地の人間を悪者にできなかったからだ、と思う。静かに聞いていた周りの人たちから同情の声が上がる。とそのとき、ダジャレの名人が言った。「それはまさしく、クツー!」。大爆笑である。その一言で、滅入った気持ちも吹っ飛んだ。
ホテルに帰ってから、急いでボロ靴を脱ぎ、足を丁寧に洗った。翌日10時、近くのデパートに走った。盗まれた靴と同じ靴を買った。店員は何も知らずにボロ靴を箱に入れようとする。思わず叫んだ。「そのボロ靴、どこかに早く捨ててくれー!」(2011.5)



就寝前の10分間


ひと昔以上も前になると思うが、同窓会の二次会、ススキノのスナックで飲んでいたときのこと。隣に座った某女性が、突然私の腕の皮をつまんで引っ張った。そしてこう言った。「あなた、何にも運動していないでしょ。こんなに皮が伸びるのは老化の証拠よ」と。確かにビヨ~ンと皮が伸びていた。「せめて毎日腕立て伏せくらいでもしたら?」とのご進言。その夜、家に帰ってからさっそく腕立て伏せをしてみた。5回くらいでギブアップ。予想外の「老化」に面食らい、翌日から、寝る前に腕立て伏せをすることにした。少しずつ回数が増えて、やがて20回を軽くこなすようになった。

ふと気がつくと、下腹がボヨ~ンと出てきて、いわゆる中年太りになりつつあることを知った。これじゃあイカンと、寝る前に腕立て伏せに引き続き、腹筋体操をするようにした。腕立て伏せより簡単で、20回はこなせた。5年ほど前、孫が生まれて抱っこだの沐浴だので腰を痛めてしまった。そこで某整骨治療院にて治療を受けた。4回の治療(整骨?)で腰痛はかなり治まったが、足腰がかなり弱っているとのこと。せめてアキレス腱を伸ばすストレッチ体操と、足を後ろに持ち上げて太ももの筋肉を強化する体操をしてはどうかと言う。その日からそれぞれ20回の「アキレス腱伸ばし」と「太もも強化体操」を取り入れることにした。

その後再び腰痛の気配があり、定期的に近くの鍼灸院に通うことにした。鍼灸院の先生いわく、腰痛の防止には腰の筋肉の強化が必要だとのこと。寝そべって腰をひねるのが良いという。そこで、その日から左右に腰をひねること10回を取り入れた。その後ある時、その鍼灸院で膝を曲げているとき、ポキッポキッと音がした。それは背筋を伸ばしてしゃがむ蹲踞(そんきょ)の体操で治ると教えて頂いた。さっそくその夜から蹲踞20回を取り入れた。

頭髪が薄くなり始めた頃から養毛剤を使っている。しかし、毎日ではなく風呂に入って洗髪したときだけであった。ワイフの友人に化粧品屋を経営している人がいて、「風呂に入ったときだけではダメ」とのことで、ある時、効果がありそうな養毛剤を届けてくれた。これが朝晩2回毎日頭にふりかけて揉む、というシロモノだった。面倒この上ないが、いくらかでも効果があれば、とまあ朝晩頭にふりかけ揉むことにした。1年ほど前、奥歯の根元が腐ってしまい、ついに部分入れ歯になったが、歯医者いわく、朝だけではなく、夜もしっかり歯磨きすること。ハイッとその日から寝る前に歯磨き。緑内障で眼科に通っているが、眼圧を下げる点眼液も寝る前に一滴。

以上、私が就寝前に実行していることを簡単に記せば、まずアキレス腱伸ばし20回、太もも筋肉強化体操20回、蹲踞20回、腕立て20回、腹筋体操20回、腰のひねりを右に10回左に10回、歯磨き、養毛剤、点眼液、となる。おかげで今やしゃがんでもポキッといわない、腕の皮をつまんでも摘めないほどハリがあり、皮は伸びない。肩こりをすることもない。下腹はほぼ締まっている。腰痛もかなり軽減。とりあえず歯は大丈夫、頭髪の薄さも進行低減。眼圧は低い状態を維持。

習慣にしているものはまだある。若い頃から晩酌は欠かしたことがない。いつからそうなったかは定かではないが、帰宅後まず350ミリリットルの缶ビールを飲む。飲み終わったら吟醸クラスの日本酒をコップ7分目ほど注いで、晩ご飯のおかずとともにチビリチビリと飲む。酒を飲み干し、晩ご飯を終えると、急いで濃いめのウイスキー水割りを作る。この作業は8時前でなければならない。内科の医者から8時を過ぎたらアルコールは控えめに、と言われているからだ。だから本来は8時前に水割りを飲み干すべきだが、たまたま飲み干す時間がかかりすぎて、8時を過ぎても飲んでいる、という状況が生じているだけだ。家族から詭弁だといわれるが、その指摘が正しいかも知れないとは思っている。

再び就寝前の体操に戻るが、全てを終えるのに10分はかかる。最初のうちはやや面倒でもあったが、今やこれらを全て実行しないと眠れない。「習慣」になってしまったのだ。イヤ、「習慣」にしてしまったのだ。初めのうちは冷ややかに見ていた我がワイフも、途切れることのない習慣に尊敬のまなざしを向けるようになった。見かけによらず「きまじめ」と理解してくれたらしい。「ついでに禁煙も習慣にしたら」と家族の忠告。しかし今のところ医者からの指示がない。生真面目の私は「喫煙」の習慣を変える気はないのである。(と書き上げた数日後、健康診断で肺に陰があるといわれ、諸々の検査を受けました。未だシロクロはついていませんが、7月17日をもってとりあえず喫煙習慣を中断しております。)(2012.9)



ただいま禁煙中


「肺に陰あり」でCTスキャンとPET検査を受け、ワイフ同伴で診断結果を聞きに病院に行ったのは7月17日であった。医者から「陰が悪性とは断定できません。しばらく様子を見ましょう」と言われてまずはホッとした。ワイフもすかさず「良かったー」と大きな息を吐いた。それで終わりにすればいいものを、「先生、タバコはやめたほうが良いですよね?」とワイフが医者に聞く。「イヤ、吸ってもいいですよ」と医者が言うか?言うはずがないではないか。

私はタバコをやめる気はまったくない。タバコが体に悪いという報告も信じない(この手の議論はネットに溢れていて、何が真実かは分からないのだ)。ただいずれ「これ以上タバコを吸うと、死にますよ」と医者から言われる日が来るに違いない。そうなったら禁煙するだろう、とは思っていた。7月17日、診断結果を聞いた子どもたちからメールが入る。良かったね、これを機会にタバコをやめたら?、と誰もが同じ文章。誰もが口には出さず、当方の体を心配していたようだ。その時ふと、「そうか、家族に心配をかけさせていたのか」ということに気がついた。

最悪の診断結果を予想して、予備のタバコの購入を控えていた。7月17日、診断結果を聞いた時点でタバコは数本残っている。すべて吸い終えたのが午後3時。よ~し、家族のためにとりあえず禁煙してみるか。自分がどれだけ自己コントロールできるのか、客観的に眺めて見ようか。禁煙による禁断症状が出るらしい。それも面白いではないか。じっくりと冷静に「自分」を観察してやろう。さっそく山のようにあったライターを袋に詰めて捨て、灰皿を片づけてもらった。

数日間、めまいが続いた。なぜか後頭部がやたらと熱く感じられ、脳内がボーっとしている。日中何度となくタバコを探す瞬間がある。どこにもないのだと思い知る。そのたびに集中力が発散する。イライラしているような気がする。口が淋しいからガムを噛む。口が渇くから冷たい水を飲む。ビールのおつまみが欲しい(そんなことは今まで稀だった)。そこにあるお菓子を食べてみようかと思う(今まで決して間食をしないし、お菓子類に手を出したことはない)。口の中が徐々に爽やかになって来たようだ。10日も経った頃、タバコを吸った夢を見た。その後も何度か同じような夢を見た。

かくして50日が経過した。まだタバコを探す瞬間が日に何度か訪れる。無理もあるまい、45年間にわたる生活習慣なのだ。簡単に修正できるものでもない。それよりも気になる記事を見つけた。「禁煙1年後、体重は平均的に4~5kg増える。禁煙者の13%は10kg以上も体重が増えた」とイギリスの総合医学誌「BMJ」に書いてあるそうだ。さらに「禁煙後5年未満の男性では、糖尿病の発症リスクが非喫煙者より1.41倍上昇する。1日25本以上の喫煙者ではリスクが2倍以上になる。5年を過ぎれば非喫煙者と同じになる」という国立がん研究センターのデータがあるそうだ(出典は「週刊ダイヤモンド」)。禁煙すると体重が増えるとは聞いていたが、糖尿病の発症リスクが高まるなんて知らなかった。そのうちに、喫煙者が禁煙するといろいろと問題が生じてむしろ寿命が短くなる、なんてデータが出てくるかも知れない。結局は、好きなことをして自由に楽しむのが一番、タバコを吸いたければ吸えばいいのだ(と今でも思っている)。

これまで、なぜタバコをやめる気にはならなかったか。それは、世間の風に負けるのがイヤだったからだ。大多数の意見に言い負かされて、「参りました」と頭を下げるようなもので、何とも不愉快だ。加えて喫煙者は知的レベルの低いバーバリアン(野蛮人)で、非喫煙者は理性あるまともな人間、といった構図が出来上がっている。「まだタバコを吸っているのか」と見下され、意志の弱い哀れな人々、という目で蔑まされる。そんな風潮に「負けて」禁煙をしようものなら「やっとまともな人間になりましたね」と賛美の声で「上流階級」に迎えられる。それがイヤだった。誰が何と言おうとタバコを吸い続けてやる!!と決めていた。

そんなこんなで、禁煙外来だの禁煙パッチだのに頼らずとも、自力で、自分の意志でとりあえず禁煙中である。「禁煙した」のではない。「禁煙している最中」と言うことだ。この先、何かの弾みで、再びタバコを吸うかも知れない。そのための伏線でもある。しかしだ。これで再びタバコを吸い出したならばどうなる?「何とも意志の弱いヤツ!」と周りから言われること、間違いがない。それが恐ろしくて、二度とタバコに手を出せないのでないか、と思う次第である。(2012.9)

追記(その年10月半ば):タバコをとりあえずやめてから3ヶ月が経ちます。今でも急激な喫煙の欲求が襲いかかったり、夢で「アッ、吸ってしまった!」ということがありますが、今のところ「禁煙中」を完璧に維持しております。ただ、口元が淋しくて間食したりしっかり食事を取るせいか、この3ヶ月で3.5kgも体重が増え、何となく体が重く感じられます。この先、まだ体重が増えるのか、糖尿病になりはしないか、とはなはだ心配になってきました。ヒョッとして「禁煙」は体に悪いのではないか、と思ったりもしております。
プロフィール

Author:能登繁幸
「ちょっと斜にかまえたエッセイ集」の第1集、第2集、第3集、ならびに毎週発信の「新能登メール」を収納。

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