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PEインタビュー

能登繁幸氏は、北海道留萌市に生まれ、北海道大学卒業後、北海道開発局の研究機関に採用となり、以後地盤工学に関わる研究業務に従事、特に泥炭性軟弱地盤対策に関する専門家として活躍されました。日本技術士会では理事、北海道本部長を歴任され、組織の活性化に尽力されました。

はじめに
-平成29年秋の叙勲で瑞宝小綬章を授与されたと聞きました。おめでとうございます。
「ありがとうございます。長年公共的業務に従事したとして受章しました。心身健康でいられたから受章できたわけで、まわりで支えてくれた家族に感謝したいと思います。」

出身など
-それではインタビューを始めます。まずは生まれからお伺いいたします。
「生まれはニシンで有名な北海道留萌市の寒村です。昭和22年1月3日生まれ、正月三が日で、誕生祝いをしてもらった記憶がありません。」
-どのような幼少時代でしたか。
「我が家は漁師で、ヤン衆を数人雇う小さな網元でした。私が4~5歳くらいまではニシンが大漁に捕れましたが、突然ニシンが不漁となり、両親はずいぶん苦労されたようです。そんな苦労も知らず、家の前の砂浜であるいは裏山で、遊びまくっていました。」
-小学校、中学校時代はいかがでしたか。
「小学校は複式で、設備も何かと不十分でしたが、2畳程度の小さな図書室があって、子ども向けの本が棚一杯に並んでいました。片っ端から読みました。中学時代は冒険小説を良く読みました。それ以外は毎日のように浜辺で遊んでいて、勉強したという記憶はありません。」
-高校はいかがでしたか。
「留萌高校に入り、このときはよく勉強しました。次々と問題集を買ってきては問題を解く、ということの繰り返し。やがて留萌市の本屋さんにある問題集すべてをクリヤしてしまいました。とにかく勉強が楽しかったですね。」

大学そして就職
-大学に入り土木を目指しました。
「北海道大学理類入試に合格しました。留萌を離れ札幌での暮らしが始まります。4年間間借り生活でした。北海道大学は学生全員が1年半の教養学部を経て、成績順に希望の学部に移行するという方式をとっています。私は、いずれ電子を駆使する時代が来ると予想し、電子工学科に移行するつもりでおりました。ところがある日偶然にも留萌高校先輩の星さんと出会い、どの学科に行くのかと聞かれ、電子と答えましたら、馬鹿者、男は土木だろ!と言われました。そのせいで土木工学科に進んだのでした。」
-土木はいかがでしたか。
「素晴らしいと思いました。折しも映画『黒部の太陽』が公開されたこともあり、土木を選んでつくづく良かったと思いました。卒論の講座は見かけはガサツですが人情味に溢れた北郷繁教授が好きだったので、土質力学講座を選びました。卒論テーマはK0圧密でしたが、修士論文の三田地先輩(のちに北大教授)の小間使いをしていただけで、訳の分からないうちに卒論が完成していたように思います。」
-就職はいかがでしたか。
「当時は3年目の終わり頃から就職担当の教授に呼ばれて就職希望先を聞かれ、ほぼ成績順に就職先が内定する、という仕組みでした。なかなか私の順番が来ません。業を煮やして担当教授室に押しかけました。教授は成績表を見ながら、君はもう少し後だ、大手企業はもう残っていない、公務員試験でも受けたらどうか、と言います。ガックリきましたが、それから3ヶ月ほど猛勉強しました。お陰様で国家公務員上級甲種(今のⅠ種)に合格しました。紆余曲折ありましたが、最終的に北海道開発庁に採用ということになりました。」
-研究機関に配属されたのですね。
「北大の北郷教授と試験所の河野室長の画策があったようで、北海道開発局土木試験所の土質研究室に配属となりました。経緯については省略しますが、人生にいくつか岐路があり、これもその一つとなりました。」

研究業務
-長期間、研究業務に従事しましたが、研究成果をいくつか紹介して下さい。
「最初は火山灰土の締め固め管理でした。火山灰は普通の土のように密度管理ができないので、他の方法を探したのです。最終的に衝撃加速度で管理する方法を提案し、その装置の特許も取りました。次に交通車両や建設機械による地盤振動の対策で、空溝や発泡スチロールによる振動軽減効果について調査研究を行いました。他にもいろいろな課題に取り組みましたが、なんといっても一番熱を注いだのは泥炭地盤対策ですね。」
-泥炭地盤対策に関しては日本を代表する研究者として有名です。
「北海道には泥炭地盤が広く分布しています。泥炭は湿地帯に生える植物が枯れて倒れて、十分に分解しないまま堆積した地盤です。ほとんど植物繊維が積み重なった状態で3~5mの厚さをなし、スポンジのようにたっぷりと水分を含んでいます。泥炭地盤に盛土をすると大きな沈下が生じ、これが長期に亘り、ときには地盤がすべり破壊を起こします。研究項目としては、泥炭の安定性や沈下挙動を計算する方法を見つけること、いろいろな対策工法の効果を明らかにすること、対策工の選定方法を提案することなどでした。」
-それらに関して膨大な研究論文を残しました。
「研究成果を学会等で次々発表しました。それらの論文をもとにして『泥炭性軟弱地盤対策工マニュアル(案)』を作成し、北海道開発局独自の指針にしていただきました。」
-能登さんが提案された泥炭の沈下予測式が『能登式』として広く用いられています。
「水分の排出に伴う地盤の沈下を圧密と言いますが、粘土地盤で世界的に用いられているTerzaghi(テルツァギー)の圧密理論が泥炭に適用できません。そこで泥炭の沈下データを基にいろいろと試行錯誤を重ねました。そのうちにビッグバンやらブラックホールの現象に似た状況を表す式に遭遇し、それを利用した沈下予測式を提案しました。地盤の厚さと水分、外力が分かれば沈下の経時的変化を予測できます。この式が現場の沈下実測値と極めて良く一致することが数多く報告され、いつしか『能登式』といわれるようになったようです。」
-泥炭に関する研究で博士号を取得されました。
「研究室の室長となったのを機に北大の三田地先生に相談して博士論文を提出し、工学博士号を授与されました。また数多くの資料を基に『泥炭地盤工学』を執筆し、技報堂から出版いたしました。一部の大学でテキストに使っていただきました。」

技術士会との関わり
-技術士資格取得のきっかけは?
「北海道開発局OBで技術士会北海道支部(当時)の広報委員長などをされていた菱川さんが私の職場に来られて、技術士試験受験願書を置いていきました。深く考えもせず願書を提出しましたが、大変なことに気がつきました。それまで仕事柄、建設コンサルタント会社の技術士の方々に対し、偉そうに文句を言ったり、知識を振りかざしたりしてきました。ここで不合格ならば、まさに恥さらしです。必死に勉強しました。いざ受験。終わったときは頭は真っ白、体はクタクタ。二度とこんな辛い試験に挑戦しない、と思ったものです。合格してホント、ホッとしました。」
-その後は北海道支部(当時)の活動に積極的に参加され、初代の青年技術士協議会会長、初代の防災研究会会長などを歴任されました。
「技術士会活動は産学官が一緒になって行動するのが望ましいと思いますが、学は技術士がほとんどいない、官は転勤があって長期に亘る継続的な活動が難しい。そんな状況の中、私は研究機関に在席し、転勤は極めてマレです。アイツを仲間にしよう、と誰かが考えたのでしょうね。支部の連携強化委員会で若手技術士の集まりを設けたいという提案があり、口達者な成田修平氏が中心となって準備会を立ち上げました。そして平成元年10月に青年技術士協議会の設立総会が開催され、どういうわけか私が初代会長に選出されたのです。また、平成7年の阪神淡路大震災を受けて積雪寒冷地の防災について議論すべく研究会を立ち上げようと、松井義孝氏らが走り回りました。そしてその年5月に防災研究会の設立総会となりましたが、たまたまわたくしが研究所の災害担当である構造部長をしていたこともあり、あれよという間に初代会長に選出されたのです。そういう巡り合わせだったということで、私の実力とは関係ないのですが、積極的に活動するよう心がけました。」
-さらに日本技術士会理事、北海道本部長をそれぞれ4年務めました。
「元本部長の大島さんや斎藤さんらの策略によってレールに乗せられ、理事4年、本部長4年を務めました。またこの間、第40回技術士会全国大会(札幌)(平成25年)ならびに北海道本部創立50周年記念大会(平成28年)という重要な行事を差配できまして、誠にありがたいことだと思っております。」

その他の出来事
-海外留学しています。
「正しくは長期在外研究員といいます。1978年から1年間、イギリスのインペリアルカレッジにアカデミックビジターとして在席しました。研究課題は寒冷地の斜面安定で、指導教官は著名なBishop教授。工学部長が地盤関係で神様のようなSkempton教授でした。」
-数多く災害対応をされています。
「沈下、破壊、崩壊などの地盤がらみの事故が起きる度に現場に行きましたし、大きな地震が発生すると直ちに現場に駆けつけて被害状況を記録しました。構造部長就任後はその指揮を執りました。中でも豊浜トンネル崩落事故の対応はもっとも辛い記憶となっています。」
-エッセイ集を自費出版されています。
「つれづれなるままに書き連ねたり、依頼されて書いたりしたエッセイがかなり溜まってしまいましたので、自費出版した次第です。『ちょっと斜にかまえたエッセイ集』という題名で、第3集まで出しました。まあ年寄りのお遊び、単なる自己満足です。」

日本技術士会や技術士全般について
-日本技術士会や技術士全般について何かご意見はありますか。
「日本技術士会への入会率は20%程度で情けない限りです。いろいろな理由をつけて入会しない技術士がたくさんおりますが、日本技術士会という組織がなければ今ほど技術士資格は意味をなしていません。技術士会の地道な活動のおかげで信頼と地位が確保されているのです。技術士の皆様に技術士としての自覚と誇りを持って頂きたいと思います。」
-最後に、若い技術士にひと言。
「北海道本部では、青年技術士交流委員会が極めて積極的な活動をしています。縦横のつながりを広めていく中で技術士の価値を見いだし、社会貢献を見据えて意見交換し、自ら一回り成長しているという実感を感じます。若さは素晴らしいことです。よく発言し、よく行動し、叩かれたら跳ね返し、果敢に何事にも挑戦していただきたいと思います。それが若さの証拠であり義務でもあります。今や全国の若手技術士と連携し、大きく飛躍をしようとしています。誠にご同慶の至りです。今後のさらなる発展を期待しています。」
(月刊「技術士」Vol.30 No.6 2018.6)
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お袋の口述

繁幸、おまえがお腹にいたとき、つわりがひどくってね、稲荷さんに見てもらったら、この子は3歳まで持たないっていわれたんだよ。逆子だったしね。生まれるときは、産婆さんから、母体は何とか助けるけど、赤子のほうは保証できないって言われてさ。いざ生まれるときも、片方の足が出る。それを押し込む。そうしたら別の足が出る。またそれを押し込む。何とか生まれてきたけれど、産声を上げない。産婆さんがほっぺをぴしゃりと叩いたら、やっとかすかに泣き声を上げたんだよ。

未熟児でもなかったんだけど、食が細くて、さっぱりお乳も飲まない。いつも弱々しい声で泣いている。ちょっと寒ければ、唇を青くしてわなわな震えてる。だからひいばあちゃんがよく懐に入れて抱っこしてた。満1歳も間近の頃、原因も分からずぐったりし始めて、産婆さんがいうには、もうダメかも知れないって。父さんはデンプン工場に出稼ぎに行っていたんだけど、電報打ったら、今晩がヤマかも知れないって時に帰ってきて、一晩抱いて寝たんだよ。そうしたら、朝方に、目を開けて、父さんの顔を見てにっこり笑ったんだ。何だったんだろうねえ。今で言う自家中毒だったのかねえ。

今度は2歳くらいの時だった。父さんが仕事から帰って居間にあがったら、おまえはお腹をポンポコに膨らませて唸っている。何かよく分からないけど、ガスがたまって、出ないらしいんだよ。父さんが抱きかかえて病院に走った。医者はゴム管をお尻から入れて、先っぽを洗面器の中に入れたらしいよ。そうしたらすーっとガスが抜けたというんだ。おまえはそれを見ていたらしく、病院から帰ってきて「プクプクって!」。元気な顔で教えるんだよね。

次は3歳だ。みんなで昆布干し。おまえは浜辺で遊んでいたようだ。昼頃に昆布干しが終わってご飯を食べるためにみんなが浜から引き上げた。誰もおまえのことを気にしていなかったんだよね。そうしたら、光屋(3軒ほど隣の家)の娘が走ってきて、おぼれてるよ!って。光屋の娘が何気なく海を見ていたら、渚近くで時々手らしいものが動いている。慌てて走っていって、海から引き上げたらしいんだよ。ぐったりしていて息もしていない。父さんが走っていって、胸のあたりをグッ、グッ、って押したら、ピューット水をはいて、おまけに小さな小魚も一緒に飛び出した。そうしたら、息を吹き返した。

そんなわけで、3歳まで持たないって言われ、ずいぶん心配をかけてくれたけど、どうにか危ないところを通り抜けたんだね。そのおまえが還暦を迎えるなんてね。
(2007年8月のお盆、お袋87歳。私60歳。2014年2月、お袋逝去。享年94歳)
(株式会社プラテック社内報No.002、平成29年8月15に発行)

トップ交代の年

昨年の7月中旬、「天皇陛下が生前退位の意向を示された」と一斉に報道(個人的には「退位」と「譲位」、どちらを用いるべきか悩む)。譲位を認めると「上皇」の弊害が生じるおそれがある、天皇自らの意志ではない強制退位の可能性がある、そもそも皇室典範に譲位の条項がない、などなどメディアは大騒ぎ。我々一庶民の意見などどうでも良いことだが、あのお歳で色々な国家行事に参列されているお姿を見るにつけ、譲位はともかくせめて皇太子に公務を代行させればいいのに、と思う。

アメリカ大統領の任期は1期4年で2期まで、計8年。韓国の大統領の任期は1期5年で再任はなし(だからこその利権騒動)。日本の首相は制度上は任期がない。ただ、自民党の総裁が総理大臣となり、その総裁の任期が1期3年の2期までと定められているから、その年限が事実上の任期となり、計6年が最長。それが誰の発案なのか自民党総裁の任期を3期9年まで延長すべきだとの声が上がり、今年の党大会で改正される見通し。盤石の安倍がさらに3年首相を継続、次期首相を狙っていた連中はガックリ落ち込んでいるに違いない、と想像する。

以上のように役職に任期がある。公益社団法人日本技術士会も統括本部役員(理事、監事)の任期は1期2年で、連続2期4年まで。会長は理事の中から選出するので、会長の任期も最長2期4年。北海道本部の場合は、本部長の再任は通算して5期以内、地域本部に設置されている委員会の委員長は通算して3期6年以内と定められている。

かように役職に任期が設けられているのはなぜか。任期がない場合を想定すれば良い。トップに立つものは組織のために高邁なる目標を持ち、その目標に向かって全力を尽くす。その実績をもとに信頼を勝ち得れば組織の行動力が高まり、まとまりも良くなる。しかしやがて、当初の情熱が鎮まり、行動が鈍り、自分の力を過信し始め、独裁の弊害が生じてもそれに気づかず、権力をほしいままに振るう、という状態になる(多分)。組織は萎縮し、士気が低下し、トップの求心力が薄れ、閉塞感が漂って来る。

一方、任期満了で新しいトップが誕生するとどうなるか。トップ人事は組織の命運を決めるから、トップは言動が慎重になり責任の重大さを知る。前任者の方向性、目標を大事にしながら、新しい視点で組織を眺める。新たな問題を見つけ、任期中の解決を目指し、積極的な行動を起こす。新陳代謝が進み、組織が若返る。

今年もまた安倍政権は絶好調、というか、民進党に迫力が無く、長期安倍政権が続く気配だ。アメリカはオバマからトランプに代わる。韓国大統領は国会が弾劾訴追案を可決し、まもなく憲法裁判所が大統領罷免の是非を発表する。激高した国民感情を考えれば新しい大統領誕生の可能性が高い。それらと同列に論じるわけではないが、今年は日本技術士会の統括本部及び地域本部の役員改選期であり、任期4年を経過した会長始め多くの理事が交代する。北海道本部の役員もかなり入れ替わることが予想される。トップが代わるとものの見方、価値観が微妙に変わる。目の付け所が異なっている。今年は若々しい日本技術士会ならびに北海道本部が誕生する年なのだ。大いに期待しよう。去年の漢字は「金」であったが、今年は交代の「代」…かも。
(コンサルタンツ北海道、No.141、2017.1)

「能登式」の誕生

「能登式」誕生


はじめに
 地盤系の技術者だけのことだが、泥炭地盤の沈下予測式として「能登式」がそれなりの知名度を得ている。「能登式」は私の長年の研究成果の一つであるが、たまたま雑誌「基礎工」から「次世代へ伝えたい私の思い」というコーナーへの投稿依頼があり、「能登式」誕生までの秘話?を書き送った(「基礎工」Vol.44,No.9 2016.9に連載コーナー5回目「泥炭地盤の沈下予測式」として掲載)。本文はそれを一般読者用に書き直したものである。

1.伏線
 アルキメデスは風呂から溢れるお湯を見て浮力の原理を思いついた。ガリレイは寺院の燈火の揺れるのを見て振り子の法則を考えついた。ニュートンはリンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を考えついた。という具合に、著名な天才たちがちょっとした日常の経験から閃きを得て偉大な真理を発見したとする例は古来希ではない。しかし、彼らはある日突然にひらめいたわけではない。アルキメデスは王冠の問題をいかに解くか、日々頭を悩ましていた。ガリレオは寺院にぶら下がっているいくつもの燈火が風でランダムに揺れるのをボーッと眺めているうちに、どれもこれも同じ周期であることに気がついた。ニュートンは、ケプラーの運動法則や彗星の動き、潮の満ち引きなどに興味を抱いていたときにリンゴが落ちるのを見た。「リンゴは落ちるのになぜ月は落ちてこないのか」と疑問に思い、過去の膨大なデータ、観察、実験、数学、物理学を駆使し、ついに万有引力の法則を導いた。すなわち天才と言われる彼らは、常日頃から「解を求めて」彷徨っていた、のである。
 もう一つ書き加えておこう。若き時分、ピタゴラスの定理や球の表面積、体積を求める式に接し、なぜこうもきれいな式になるのか不思議な思いをしたことはないだろうか。質量とエネルギーの等価性を表すアインシュタインの式の簡略さに驚かなかっただろうか。今またホーキングは宇宙のすべてとその起源を説明するための単純で美しい法則を見つけ出そうとしている。ひょっとしたら自然界の諸々の現象もまた意外と簡単な式で表せるのではないだろうか。

2.泥炭地盤の沈下を予測するということ
 北海道には泥炭地盤というまことにやっかいな地盤が広く分布している。ヨシやスゲなどの湿生植物が枯れて折り重なり、十分に分解しないまま堆積した地盤で、厚さは3~5m、まれに10mを超えるところもある。このような地盤に道路や堤防などの盛土を行うと、地盤が破壊したり、破壊しないまでも大きな沈下が長い間にわたって生じる。盛土工事をする際には、地盤が破壊するか、どれくらい沈下するか、沈下はいつまで続くか、それをあらかじめ予測し、対策を立てて置く必要がある。
 地盤工学の分野ではTerzaghiという超有名人が居る。地盤工学の教祖のような存在で、この方が1924年に圧密理論なるものを発表した。粘土地盤に力が加わるとゆっくりと沈下する(これを専門用語で圧密という)が、これを理論的に明らかにしたのである。この理論はあっと言う間に全世界に広まった。これで粘土地盤の沈下予測が可能になったのである。当然ながら泥炭地盤に対してもTerzaghiの圧密理論を用いた沈下計算が行われてきた。ところが、泥炭地盤の実際の沈下状況が計算値とは大きく異なる。計算値の何倍も沈下するし、予測よりも早く沈下するのだ。しかも、長期にわたりだらだらと沈下が続く。「大半が植物繊維」なのだから、粘土地盤を前提とした圧密理論を適用しても無理があり、当然といえば当然ではある。しかし、別な沈下予測式があるかといえば、「ない」。やむなく泥炭地盤に対してもTerzaghi理論が用いられてきた。
 私は1969年、大学卒業後、北海道開発局に採用となった。直ちに研究所(現寒地土木研究所の前身)に配置され、地盤に関する調査・研究に従事することになった。そして3年ばかり後には泥炭地盤に関する研究に携わることになった。そこで初めて泥炭の適切な沈下予測式がないことを知った。されど誰も特に悩んでいる様子がない。Terzaghiの圧密理論以外に沈下予測式はないのだから、あきらめるしかないのだ。幸いなことに、私の目の前には泥炭についての膨大な数の室内圧密試験データと、かなりな数の現場実測沈下データがあった。これらのデータから何かが得られないか、暗中模索することにした。

3.√t双曲線式
 まずはTerzaghiの圧密理論を離れることにした。泥炭の室内圧密試験を行うと、荷重に応じた沈下の時間的変化のデータが得られる。これを図にプロットしたものを時間沈下曲線という。この曲線は、現場の時間沈下曲線とかなり似た形である。この当時すでに、現場における盛土完成後の時間沈下曲線は双曲線に近似することが分かっていた。そこで泥炭の室内圧密試験による時間沈下曲線を双曲線で近似できるか、検討した。すると、かなり双曲線で近似できるが、初期段階と後半で誤差が大きくなることが判明した。これを解決すべく時間tを√tとした双曲線を当てはめてみた。その結果、驚くほど一致することが分かった。式で表すと次のようになる。これがまずは出発点であった。
     ε=√t/(a + b √t) ----------(1)
 現場の時間沈下曲線は√tとした双曲線でもほぼ近似できる。室内と現場のデータがいずれも√t双曲線で表せるとなれば、あとは(1)式の係数a、bをいかに求めるかだ。この頃すでに泥炭の物理的性質(比重、密度、間隙などに関わる数値)は水分量と大きな相関を持つことが分かっていた。土の水分量の多寡は「含水比」で表される。おそらく係数a、bも含水比と相関があるに違いない。手元にあるデータをもとに検討を繰り返した。その結果、ややばらつきはあるものの何とか係数a、bと含水比の関係を導き出すことができた。ただし、工学的に「先行圧密荷重」といわれる荷重の前後で傾向が異なり、2種類の関係式とせざるを得なかった。
 さらに作業は続く。長期にわたる沈下を二次圧密と称する。これは時間の対数、すなわちlogtに比例した沈下となる。この二次圧密が始まる時間、ならびに比例係数(二次圧密係数という)を圧密試験データから明らかにした。こうして得られた係数を用いて、現場における時間沈下曲線の予測値と実測値を比較し、その予測精度を確認する。結論を言えば、従来よりは信頼できる沈下予測式が得られたのである。これで大いに満足したのは言うまでもない。

4.奇妙な論文との遭遇
 しばらくして、なぜ√t双曲線なのか。先行圧密荷重付近で挙動の傾向が異なるのはなぜなのか。それが気になり始めた。たまたま√tなのか、それとも特別の理由があるのか。時々頭に浮かんでくるそれらの疑問にイラつくことがあった。されど疑問を解決する方法を知らない。時間は流れていく。まだまだ精度は低いながらも、「とりあえず」√t双曲線を使えば最終沈下量も沈下の時間的経過も計算できる。それでいいではないか、という気持ちもある。かくしておよそ2年の月日が流れたある日のことである。
 研究者ならば研究業務に関係する内外の論文にはほとんど目を通す、という姿勢が大事である。それらの論文は必ずしも役に立つわけではないし、難解で理解に苦しむものも多数あるから、時には無駄に時間を費やした、と思えるときさえある。その日も何らの期待もせずある論文集をめくっていた。するとSYNOPSIS(概要)の終わりに"Nature is simple and beautiful"と書いてある論文にぶつかった。というか、目が止まった。「何だこれは。論文らしくない書き方だな」と思った。著者はJuarez-Badilloとある。聞いたことがない。メキシコの教授らしい。論文タイトルは"General Compressibility Equation for Soils"。土の圧縮性か、まあ何かの参考になるかも知れない。読み始めた。衝撃であった。目から鱗、であった。これは泥炭地盤の沈下予測式に使えるかも知れない。興奮を抱えたまま新たな作業に取りかかった。

5.新しい沈下予測式
5.1 ある応力下における物体体積の時間的変化
 体積がVoという物体がある。これにある力を加えると、時間の“増加”とともに体積は“減少”し、最終的にVfという体積になる。一方が「増加」するときもう一方が「減少」というのはややこしいので、時間の増加に対応して増加するという体積の関数を新たに定義する。途中は省略するが、時間をtとし、体積変化量をひずみεとして整理すると、最終的に次式が得られる。
     ε=εf/(1+Cpt-δ) ----------(2)
それがどうした、と読者の一部は思うかも知れないが、ここでδ=1/2、a=Cp/εf、b=1/εfとすれば、上記の(1)式、何と√t双曲線になるではないか! あの√t双曲線は今回得られた(2)式においてδ=1/2とした特殊な場合に相当するのだ。早速かつてのデータをひっくり返し、δの値を調べた。その結果δは応力や含水比によって0.23~1.29の範囲で変動し、必ずしも1/2の一定値を取らないことが判明した。その後の検討で、(2)式の係数δ、Cpは含水比と応力から推定できることを確かめた。
 以上のように、物体に応力が加わったときの時間的な体積変化の推定がまずは可能になった。次は物体にある応力が加わったときの「終局」の体積εfをいかに求めるかだ。

5.2 ある応力下における終局体積
 ここにある物体がある。過去に何らの応力も加わっていないとき(P=0)、物体は空中に拡散してガス状であったと想定すれば、その体積Vは無限大である(Vo=∞)。一方応力Pを限りなく大きくしていくと(P=∞)、体積Vはゼロになると仮定しよう(Vo=0)。難しい話をしているわけではない。ビッグバンの直後、宇宙はガス状であった。そこに諸々の力が作用して星ができ、銀河が誕生した。一方ブラックホールというのもある。そこでは凄まじい力が作用し、星々は圧縮されてブラックホールの彼方へと消え去っていく。すなわち無限大の力が作用すると物体は消滅する。とはいえ、我々の目の前にある物体は有限の体積を持つ。それらの物体は過去にある程度の応力をすでに受けたものだ。すなわち、ある応力を受ける物体の体積変化を計算する際には、過去に受けた応力の範囲内か、それを超える応力なのか、分けて考える必要がある。工学的に言えば、それぞれ過圧密領域と正規圧密領域、ということだ。先行圧密荷重の前後で挙動の傾向が異なるのはなぜか、それは過去の応力履歴の範囲内か範囲外かで挙動が異なるからだ。
 途中を省略して、最終的な式を示そう。ある荷重Pにおける最終ひずみεfは、正規圧密領域では
     εf=1-Kn・P-γ  ----------(3)
過圧密領域では
     εf=1/(1+Ko・P-γ ) ------(4)
となる。泥炭地盤の先行圧密荷重は経験的に0.2~0.4kg/cm2であるから、過去の圧密試験データのうち圧密荷重0.4kg/cm2より前を過圧密、後を正規圧密として、KnとKo、それとγについて、過去データを元に逆算して整理した。いずれも含水比と見事な相関を有する結果が得られた。得られた係数を用いて最終沈下量を求めると、既往の成果とよく一致することを確認した。これで一次圧密の作業は終わった。次に二次圧密である。

5.3 二次圧密の挙動
 泥炭の沈下挙動はある時間が経過するとlogtに比例する二次圧密となる。ある時間に突然に二次圧密が始まるわけではないが、便宜的にlogtに比例した沈下が始まる時を二次圧密の開始時間tsとし、tsのときのひずみ量εp、logtに比例する直線の傾きCsとすると、二次圧密領域のひずみεsは次式で表される。
     εs=εp+Cslog(t/ts) ------(5)
これから先の解析作業を省略するが、いずれの係数も含水比との相関があることを確認した。さらに同様の作業を現場実測沈下データを元に行い、ときには微調整をしながら各係数を求める式を提案した。得られた最終的な沈下予測式を用いて、13カ所の現場を対象に、沈下実測値と予測値の比較検証を行った。ほとんどの現場において実測値と予測値は一致し、予測式の精度が極めて高いことを確認した。

5.4 沈下予測式の簡略化
 以上の沈下予測式を提案した後しばらくして、現場技術者及び民間設計担当者から「予測式が煩雑すぎる。もっと簡略化ならないか」という意見が相次いだ。先に示したように正規圧密領域と過圧密領域では理論的に沈下挙動が異なるとして、それぞれ別の式で求めることにしている。しかし、泥炭地盤における盛土施工の実態はといえば、一挙に数mも盛ることはあり得ない。一般にせいぜい2~3m程度の盛土を行うのが常だ。その程度の盛土荷重であれば過圧密領域の計算式だけで十分ではないか。そこで再度すべてのデータをもとに式の一本化を試みた。その結果、γ=0.8、Ko=700/Wとなり、最終一次圧密量(ひずみ量)は次式で表すことが可能となった。
     εf=1/(1+700/WP0.8) -----(6)
 ふと、これはどこかで見たような式だと感じた。記憶をたどると、すでに30年も前に初代研究室長の宮川勇博士が圧縮ひずみεと圧密荷重Pの関係は次式で表されると述べている。
     ε=P/(E+P/mo)  -------(7)
これはほとんど(6)式に近い。(7)式中のEとmoは含水比や強熱減量と対応性があると述べている。残念なことに、宮川博士がこの式を導くに至った経緯は不明であり、泥炭地盤の沈下予測に用いられたことはなかったが、先達の閃きに大いなる敬意を表したものである。この後さらに一次圧密沈下の時間変化ならびに二次圧密の式について再検討し、ほぼ満足できる簡略式を改めて提案した。

5.5 通称「能登式」
 上記の成果を発表した直後から、北海道内の泥炭地盤の沈下予測に上記の式が適用され、しかもその後の実測値との対比も行われ、予測精度が極めて高いとの評価を受けた。本人の知らない間にいつしか上記の提案式は「能登式」と通称されるようになり、各所で使われるようになっていた。

あとがき
 最初に述べたように、天才と呼ばれる人たちは問題や疑問を抱え、常日頃からその「解を求めて」彷徨っていたのである。天才とまで行かなくとも研究者の多くもまた問題や疑問を目の前にし、錯覚やら先入観に振り回されながら日夜「解を求めて」悩んでいるのである。その姿は妄想にとりつかれたパラノイアにも似ている。私が「能登式」にたどり着いたからと言って「私は天才」というのではない。研究者の端くれとして、懲りもせず一つの思考に専念してきた、あるいは執着してきた結果として、とりあえず満足できる成果を残すことができた。若い時分、自然界は意外と簡単な式で表せるのではないか、すなわちNature is simpleと思ったことさえ味方してくれた。以上「能登式」誕生までを述べたが、一般読者には理解できない記述が多々あるとは思う。ご容赦願いたい。当人はやっと経緯を整理できてホッとしている。この先、「能登式」以上の精度の高い沈下予測式が出ることを期待して、終わりとする。

傍若無人

傍若無人

バリ島ヌサドゥア地区。高級リゾートホテルのプールサイド。若いカップルや老夫婦がそれぞれ適度な空間を挟んでデッキチェアに寝そべり、本を読み、うたた寝し、気が向けばプールで泳ぎ、ビールを飲んだりしている。のんびりとした至福の時間が流れていく。…とそこへ、唐突に、甲高い嬌声を発する十人ほどのアジア系男女グループが現れて、衣服を脱ぎ捨て、すかさずプールに飛び込み、ボールの取り合いでバカ騒ぎをし、ピザとビールで宴会が始まり、相変わらずの大声で話しながら食べ、飲み、たばこを吹かし、そして1時間もしないうちに立ち去って行く。ビーチタオルがそこら中に投げ捨てられ、食べかすや吸い殻が散らばり、肌がざらつくような不快な静寂がしばしの間漂っている。そばに居たドイツから来たという老婦人が顔を曇らせて訊いてくる。「あの人たちもあなたと同じ日本人?」「いいえ!違います!あんな身勝手な人は日本にはおりません。」

北大の某教授がフェイスブックで憤慨していた。本人の許可もなく、勝手に以下に紹介する(ほぼ原文のまま)。<朝食を食べようと思って並んでいたら隣国人の団体さんが例によってどんどん横入りして来て、なんで順番を守らないのだろう?と思ってムッときました。まあ、ここまでは毎度のことで我慢したのですが、バイキングで食べたいものを選んで2人掛けのテーブルで向かいの椅子に荷物を置いて「さあ食べようか!」と思ったら、団体客の一人が勝手に私の荷物を椅子から降ろして横に置いて、そこに座って食べ始めました。隣のテーブルのグループとお仲間のようで、まくし立てるような例の喧嘩腰のお喋りが始まりました。レストランはすでに満員、とても朝食をゆっくり食べる雰囲気ではありません。「黙って食え!!」と叫びたくなったのを丸飲みしました。その勝手に同席なされた方、食べ方がなんとも汚らしい。サラダの中にサバの焼き魚を手で千切って入れて、その指をペロペロ、さらには納豆をかけてむさぼり食い始めました。どうやって食べようが個人の自由ですが、目の前でこれを見せられると…。私は頭に来てほとんど食べずに、従業員に文句を言って出てきましたが、従業員もポカ~ン状態でした。こんな時の対応マニュアルって無いのでしょうかね?せっかく朝食付きのそれなりのクラスのホテルを選んで泊まっているのに、結果的には朝食も食べられず、ホント頭に来ました。あ~、腹減った。ということでコンビニでおにぎり買って食べました。>

司馬遼太郎著「歴史の中の日本」(中公文庫)という本に「大阪バカ」という一文がある。面白いので、これも勝手に以下に紹介する。<一つのテーブルに、四つのシートがある喫茶店でのことだ。恋人なり友人同士が、その二つに座を占めたところで、空いている他の二つのイスには誰も座らない。ちょうど領海権のように、彼らに一種の準専用権が認められているようである。もっとも、国法や自治体の条例で保護されている権利ではないから、ずけりと座り込む人物が現れた場合には、何人も退去を要求することはできない。ところが、大阪では、おうおう、平然とそのシートに座り込むオッサンが現れる。コーヒーを注文する。一人では退屈だから、なんとなくラジオでも聞くような気安さで、むかいの恋人同士の会話に身を入れて聞いていたりする。やりきれない無神経さである。
 旅行の機会の多い人なら、何度か実見されたに違いない。車内の空気を独り占めにしている大阪の観光団の喧噪さだ。夏ならば、その何割かは乗車後数分間でズボンを脱ぎ捨ててしまっている。酒を飲む。サカズキをほうぼうにまわして、酒盛りをする。しまいには、卑猥な歌を歌ったりする。三味線を持ち込んでいる一団さえ私は見た。べつに国法に触れるわけでもないからかまわないようなものだが、車内には他の乗客もいる。かれらの神経や感情はまるで無視されているのである。「金はろうたァるねん、歌おうと飲もうと俺の勝手やないか」というのであろう。車内の空気という共有物までかれらが買い取ったわけではないはずだが、タダの共有物ならスワリドクという仕儀になっているのである。さきの喫茶店の例と、精神においては変わらない。>

東京あたりでは、お隣の国やそのまたお隣の国などからたくさんの観光客がやってきていて、ホテルやレストラン、商店、観光地で常識の違いを見せつける、ということがかなり前から見聞されていた。それが近頃は、札幌でも見られるようになった。たとえば、地下鉄のホームでは列を作って並ぶということをしない。電車が来れば平気で割り込む。そしてダッシュで乗り込み、家族や友達の分まで座席を確保。通路を挟んでの大声での会話。そのくせ次の駅で降りたりする。狸小路のイスというイスすべて、爆買の荷物置き場になっていて、食べかすをぽい!吸い殻をぽい!つばをぺっ!

日本人の多くは「他人様に迷惑をかけてはいけない」と教えられて育った。だから自分の行いが誰かに迷惑をかけていないかと常に気にする、という行動パターンができ上がっている。シャイな国民性と言われる所以である。おかげで様々な場面で、何が良いか、何が悪いかが瞬時に判断できる。さらに自分の立場、大げさに言えば自分の身分をわきまえていて、出しゃばりは悪だと考える習性もある。先の司馬遼太郎の一文は次のように続く。<江戸には百万の市民の中に50万人の武士がいた。自然、武士の持っている儒教的節度や厳しい身分意識が、もろに町民の血肉の中に入ってしまった。一方、大阪は60~70万人の人口であるが江戸と違って武士の数がわずかに200人程度であった。大阪にはまるで封建時代がなかったと言って良い。かれらは身分意識が薄い。分際を守ろうとはしない。他人を恐れるというところがない。封建的節度がないから他人の迷惑なんぞ考えもしない。その社会的感覚の奇妙さは一種のバカと言うほかはない。>

司馬遼太郎の一文は昭和30年代の中頃に書かれたものである。あの当時、「もはや戦後ではない」とか、皇太子ご成婚、岩戸景気にいざなぎ景気、東京オリンピック、などなど日本はすさまじい勢いで経済成長をしていた。そして農協の海外旅行が盛んになり、その結果「マナーの悪い日本人」と世界中からいわれるようになった。「マナーが悪い」とは正しいマナーを知っているのにそれを守らないことを言う。農協のオッサン連中が正しいマナーを知っていただろうか。おそらく知らなかったに違いない。

あれから30年40年。海外から「マナーの悪い日本人」と言われなくなった。それどころか「礼儀正しい日本人」とさえ言われるようになった。その代わりかのようにお隣の国、またそのお隣の国の人たちが傍若無人で暴れ回り、周りからひんしゅくを買い、「マナーが悪い」と言われ出している。しかしかの国の人たちは「マナーが悪い」のではないと思う。かつての日本人のように「マナーを知らない」のだと思う。あと何十年かしたら礼儀正しい何とか人、といわれるようになるのだと思う(多分)。今や大阪の人たちだって司馬遼太郎の言う「大阪バカ」ではない、…と思うが、いまだ健在なのだろうか…。

(後日談:北大某教授の旅行手配をした旅行会社が上記の話を聞きつけ、先方のホテルに事の次第を伝えた。そうしたらすかさず「心よりお詫び申し上げます」なる手紙とマドレーヌが届いた。「こんなもので許せるか!」と送り返そうと思った時にはすでにお菓子はお腹の中だったそうだ。)
(SRC Report No.358 2016.5)
プロフィール

Author:能登繁幸
「ちょっと斜にかまえたエッセイ集」の第1集、第2集、第3集、ならびに毎週発信の「新能登メール」を収納。

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