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地盤工学と私

 「コラ!能登」と北郷先生に怒鳴られる。そのたびに快感に痺れた、と言えばいかにもM的性格のように見えるが、そうではない。寒村の漁師の倅であったから、エリート雰囲気にはついて行けない。そんな中、一見ガサツながらも慈愛あふれるホンネの話しぶりに惚れ込んだのだ。だから卒論に土質講座を選択したのは当然の成り行きだった。とは言え、それが自分の人生を決めることになるとは思いもしなかった。
 卒論のテーマはKo圧密。修論の三田地くんと一緒にやれ、と言われた。Ko圧密とは何か、さっぱり分からない。ただ三田地先生の言うがままに動いた。卒論は三田地先生の修論の一部を焼き写しただけ。それでも北郷先生から「少しはKoの理解ができたようだな」と褒められた。
 昭和44年卒業、北海道開発局に採用が決定。北郷先生から「札幌にある試験所と浜益の現場、どっちがよい?」と聞かれた。「当然、現場です」と答えたはずなのに、配置先は土木試験所土質研究室。最初の仕事は盛土の転圧試験。道内各地に出張し、各種の盛土材料についての現地転圧試験を行った。大型バスを改造した土質試験車で現場まで行き、そのまま車内に寝泊まりもした。お陰で土にもいろいろな種類、性格があることを学び、土の物理試験、力学試験をマスターすることができた。
 昭和46年から泥炭地盤対策に携わることになった。幌向の休耕地に広大な軟弱地盤基礎処理試験場を設け、在来工法の効果検証から新工法の開発までの実大規模実験を行った。土質研究室が泥炭に関する研究を始めたのは、前身の堰堤研究室の時代、昭和28年の月形橋取付道路の調査が機である。それ以来の泥炭に関する膨大な資料があったから、それらを片っ端から読み漁った。また、試験所の河野部長と佐々木室長は国内有数の泥炭に関する権威者でもあり、お二人から知識・経験を伝授して頂いた。その後も途切れることなく軟弱地盤対策工法の効果・設計手法、泥炭地盤の沈下・安定解析手法に関する研究が続く。
 昭和56年、それまでの調査研究成果を整理して「泥炭性軟弱地盤対策工指針(案)」を作成し、63年には「同指針」を刊行することができた。同年、三田地先生ご指導のもと学位論文「泥炭性軟弱地盤における土構造物の設計に関する研究」を書き上げ、工学博士を授与された。三田地先生には二度もお世話になったことになる。さらには平成3年、土質基礎研究室に残る資料を集大成して「泥炭地盤工学」を出版した。拙書は泥炭地盤で悩む現場技術者にとって良き参考書となったものと自負している。
 平成4年に構造部長の辞令を頂いたときから、地盤工学と距離を置くように努めた。実務を離れているのに口出しするのは老害のたぐいであり、また後継者の育成を阻害すると考えたからだ。現在、土質基礎研究室では優秀な研究者が続出し、それぞれが華々しく活躍している。その様を見て、自分事のように嬉しく思い、自分の期待通りになったとほくそ笑んだいる。
 現役時代、自分が望むと望むまいと、立場や肩書きによって地盤工学関連の各種委員に任命された。地盤工学会支部は当然ながら、本部の委員もいくつか務めた。片田舎からトーキョーに出ると、周りはみんな優秀に見えて、最初のうちは意見を言うのも躊躇する。しかし、実務から得た知識・経験は負けるはずがない。他の委員よりも自分のほうがより詳しい、と思うことが多々あった。ついには北海道からの意見が委員会を左右するということも希ではなかった。
 本部の委員会を通して、多くの知人を得ることになった。地盤工学会全国大会にはほぼ欠かさず参加している。ときには発表会にも顔を出してみるが、老化の兆しか頭に入らない。参加の主たる目的は懇親会である。しばらくぶりの友人、知人と談笑するためである。同じ分野だから気が合うと言うより、地盤技術者に悪いヤツは居ないように思える。支部技術報告会での懇親会が盛況なのも同じ理由だと思う。
 かくして還暦を迎える年になった。実務から離れてしばらく経つのに、泥炭とか軟弱地盤対策といった言葉を目にすると、ふと目が止まり、思わず論文や記事を読んでしまう。地盤工学にどっぷり浸かってきた今までの人生。違った人生を歩もうと思いながらも「地盤」から逃れられないようだ。これからも地盤工学を温かく見守っていこうと思う次第である。
 
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技術者倫理について

1.はじめに
 地盤工学会の会員の多くは土木学会の会員でもあるだろう。ならば、地盤工学会「倫理綱領」を目にしたとき、奇妙に感じたに違いない。
 1999年5月に制定された土木学会「倫理規定」は、前文と基本認識の文章に続き15項目にわたって倫理規定が詳述されている。一方2002年5月制定のわが地盤工学会「倫理綱領」はといえば、たったの5項目が述べられているにすぎない。
 地盤に関わる技術者は、仕事柄、複雑きわまる自然界を相手にし、目に見えないところの諸現象を判断するのだから、大局的なものの見方が必要であり、ちょっと悪く言えば細かなことが嫌いで、かなりズボラで、ドンブリ勘定をすることが多いから、細かな倫理規定は性に合わないのだろう、ぐらいに思った人もいるはずだ。
 ところが、先般出版された「君ならどうする-建設技術者のための倫理問題事例集-」の最初の部分、「地盤工学会倫理綱領について」(元企画部長龍岡文夫執筆)に次のように書いてあった。「会員個人の良心と自主性を尊重して、簡素な倫理綱領にした。これは、地盤工学会が任意加入団体であることから、細かく規定的な内容を含むと、ある特定の狭い見解を押しつける恐れがあるからである。」
 そうなのだ。倫理とは細かく規定することではない。倫理についての見解も各個でそれぞれ違うはずだ。以下に技術者倫理を題材にあれこれ述べるが、これもまた一つの見解にすぎない。読者の皆様それぞれの推敲を促すきっかけになれば、と思う次第である。

2.なぜ技術者に倫理が必要なのか
 技術者倫理の必要性については、近年多発の技術関係の事件・事故、技術者資格の国際的相互認証とJABEE、アカウンタビリティ等々をキーワードとして、既に各所で多く語られている。今更ここで教科書的に繰り返すのは極めて冗長というもの。ここでは「役割に応じた責務」だけを述べる。
 まず、倫理とは「人倫の道。道徳の規範となる原理」(広辞苑)。分かったようで分からない。そこで倫理の「倫」を調べると、種類、類別、同類、となっている。「理」のほうは、筋目を付けるという意味。だから「髪の筋目を付ける」ことを理髪という。
 よって倫理とは「人それぞれに類別があり、それに応じた筋目がある」ということ。分かりやすく言えば、人それぞれ役割があり、役割に応じた責務と権利がある、ということだ。例えば子供を持つ親は、子供を養う責務があるとともに、子供に意見を言い、ときにはひっぱたく権利がある。近年それが出来ない情けない親が増えているのは、何とも嘆かわしい。
 世の中にはいろんな役割がある。その中でも高度な知識と有益な実務経験を有する人たちを専門家と呼ぶ。一般市民(以下公衆)は専門家を信頼し、「安全・安心・快適」を任せ、普段の生活を送っている。そして技術者といわれる人々も専門家の一人に数えられている。
 専門技術は高度であるが故に公衆には理解できない。だからこそ従来はパターナリズム(父親的温情主義)が当然でもあった。今、説明責任やインフォームドコンセントが重要との認識が急速に広まってはいるが、だからといって公衆が専門知識を完全に理解するということはあり得ない。専門技術を知らない、理解できない公衆は、大いなる信頼感を持って技術者に身を任せざるを得ないのだ。では、この「大いなる信頼感」はどこから生まれるのか。
 技術者には「優れた技術力」が必要である。しかし、それだけで公衆に信頼される技術者になれるわけではない。中立公正、誠実な態度、品位の保持、高邁な思想などの「優れた倫理観」があって、初めて公衆は技術者を信頼する。すなわち、公衆から「安全・安心・快適」を任された技術者(すなわち役割)は、公衆が信頼に足る優れた倫理観(すなわち責務)を持たねばならないのだ。

3.地盤技術者に特別の倫理が必要か
 地盤工学を扱う技術者(以下、地盤技術者と呼ぶ)は、その道のプロ、専門家として特別の技術者倫理が必要なのだろうか。
 3.1 地盤技術者は専門家なのか
 そもそも地盤技術者を専門家といえるのか。専門家ならば技術者倫理が必要だが、単なるビジネスマンならばそれは不要。所属する組織の倫理で十分である。
 専門家であるためには、①高度な知識と十分な実務経験、②社会の福利に不可欠な知識とノウハウ、③その分野における独占権、④自治権、そして⑤集団としての倫理規定を持っていること、が必要である。①と②、それに⑤に関し疑問はない。③については地盤技術者以外の人が誰でも容易に入り込めない分野だとすれば、これもOK。問題は④の自治権。他の誰からもとやかく言われることが無く、自由で自立していて、専門的な業務の遂行に際しては高度な専門的判断や建設的な意見を自由に述べることができるか。これは、民間企業の地盤技術者にとってかなり怪しい。
 例えば、現場調査、室内試験、解析などの作業において、数量、試験項目、解析内容に不満があったとしても、地盤技術者の意見が採用される例は極めて少ない。さらに、指針やマニュアル通りに仕事をするのは基本だが、それらはあくまでも最低限のことが書かれているにすぎない。従ってときにはよりよい方向を提案することもあるのだが、そのような建設的な意見はほとんど無視され、高慢ちきな相手なら即座に嫌われる。現状では地盤技術者が自治権を持っているとは認めがたい
 しかしながら、地盤技術者が「人類のより安全で豊かな社会の実現に寄与する」(地盤工学会倫理綱領)という言動を常日頃からとっていればどうなるか。公衆は地盤技術者が優れた倫理観を有すると認めるだろうし、地盤技術者の判断や意見を尊重するだろう。かくして地盤技術者は自治権を獲得し、専門家としての地位も確保できるのである。すなわち自治権の怪しい地盤技術者にこそ倫理が必要なのである。
 3.2 地盤技術者に特性がある
 地盤技術者が他の土木技術者と違うところは、バラツキの多い生データを料理し、かなり大胆なモデル化を行い、結果の異なる(しかも予測精度が悪い)複数の解析方法のいずれかを使う、などであろう。これらの作業を行う際には、高度な知識と実務経験を有する専門家としての的確な判断が必要であるが、身の回りの様々な条件下で恣意的な行動をとることもまた容易である。
 また地盤技術者が調査・設計するものの多くは人の目に触れないし、土構造物自体は多少の変形に追従してなおかつ修復もしやすい。だから、ズボラで、杜撰で、いい加減な行動をとったとしてもそう大きな問題は生じない、という考えに陥る可能性もある。
 さらに地盤技術者は、始めから終わりまで単独で事業を実施するというようなことはない。土木事業は通常、計画から調査・設計・施工・管理に至るまでいくつものプロセスがあり、地盤技術者はその一員でしかない。すなわち地盤技術者は完結性を持たない専門家でもある。このような場合、万が一の出来事があったとしても、地盤技術者が社会的責任を問われることはまずあり得ない。
 このように見てくると、地盤技術者の拠って立つところは何かと、甚だ不安になってくる。業務遂行に際し、甘い誘惑、悪魔のささやき、我田引水などの入り込む余地が大きいのだ。それに歯止めをかけるのは何か。それは「自ら律すること」、すなわち倫理なのである。
 3.3 地盤技術者には使命がある
 地盤技術者は、自然を改変する作業の一部を担っている。その意味からも地盤工学会「倫理綱領」の第2項「自然に対する態度」、すなわち、「自然に対して謙虚に接し、その適正な活用と地球環境の保全に努める。」は重要である。
 さらに、地盤技術者の業務内容が拡大し、最近は環境問題もテリトリーの一部となってきた。例えば地盤汚染であり、廃棄物処理の問題である。これらの問題は不特定的多数に影響を及ぼし、あるいはまた次世代に被害が及ぶという深刻な問題でありながら、一般市民が自ら解決できない問題である。
 環境問題を扱う地盤技術者は、人類の生存あるいは生態系の保存というものに対して確固たる倫理観を持つ必要があるだろうし、今後ますます、幅広い見識と的確な判断、適切な行動が求められることになるだろう。地盤技術者の使命は重大なのである。

4.技術者倫理をどのように教えるか
 4.1 内部告発のススメ
 最近はほとんどの学協会が倫理規定(あるいは倫理綱領)を公表しているが、ほぼ決まって「公衆の安全と福祉、健康に対する責任を最優先する」という一文がある。一方で「雇用者、もしくは依頼者の誠実な代理人、あるいは受託者として行動する」という倫理規定もある。しかし、「公衆の…」が「最優先」だから、忠実義務や守秘義務も後回しにしなければならない。いざというときは公衆の安全と福利、健康のためにホイッスルブロウワーすなわち警笛をならす人になれ、と諭している。いわゆる内部告発のススメである。
 日本は組織優先の社会である(あったと言うべきか)。自分の所属する組織のために身を捧げ、組織における自分の評価が関心事である。従って、上司とは喧嘩せず、組織の悪口は言わない方がよい。組織の恥部を暴露しようものなら「裏切り者」の汚名を着せられる。日本での「内部告発」は失職を意味し、余程の覚悟がなければ行動を起こせない。それに対して欧米では所属する職能団体での評価が重要で、その評価が高ければ職に困ることはない。そういう世界で作られた技術者倫理を、無修正で輸入したような日本の学協会の倫理規定は、やや現実離れしているようにも感じている技術者が多いのではないだろうか。
 とはいえ、今や工学系の大学では技術者倫理教育が加速中。いずれ「公衆の…最優先」を身につけた技術者が社会にあふれる。そのとき彼らは、会社よりも公衆に対して責任ある行動をとるだろう。やがて公衆のための内部告発は当然、という日が来るのかもしれない。
 4.2 うんざりの事例
 某大学で事例をもとにした技術者倫理の講義を行い、学生に感想を求めたところ、倫理は難しいとか重要だという優等生的反応があった他に、自分に内部告発は出来ないとか自分の信念を貫くには限界があるなどの素直な意見があり、さらに「世の中こんなことばっかりなのかとうんざりした」という意見があったと聞く。まじめな技術者が、会社のもうけ主義、上司の非倫理的命令、同僚の悪意ある行動に直面し、オロオロするという事例が多いためだ。
 技術者倫理を語る際に、チャレンジャー号事件が良く引き合いに出される。技術者は「公衆の…最優先」が鉄則だから、会社の経営者や管理者が非倫理的な経営方針をごり押ししようとするときには、これに断固として反対すべきであるという教えなのだ。上司に抵抗した技術者(ボイジョリー)はほとんど英雄扱いである。
 会社が非倫理的な経営を行っているのならば、それに抵抗し、選択肢の一つとして内部告発もあり得る。しかし、世の中、非倫理的な会社ばかりあるはずがないし、そんな会社はいずれ潰れる運命にある。明らかに非倫理的な出来事を事例として取り上げて、さあどうするかと問う技術者倫理の講義は、あまりにも安易なやり方ではないか。せめて学生がうんざりしない事例で講義をしていただきたいものだ。
 4.3 正しい倫理事例のあり方
 技術者として倫理的に問題となる行為は、データを改ざんしたり意識的に選択する、虚偽の報告をする、言うべきことを言わない、間違いを認めない、直さないというようなことだろう。ここ10年ほどでこれらが原因による不祥事がボロボロ世に出てきた。なぜこのような不祥事が後を絶たないのか。非倫理的技術者があまりにも多いせいだろうか。
 リスク管理にハインリッヒの法則がある。1件の重大災害(死亡・重傷)が発生する背景に29件の軽傷事故と300件のヒヤリ・ハットがあるというものだ(なぜ30件ではなく29件なのか、なぜ299件ではなく300件なのか不思議だが)。これは倫理的な問題にもそのまま当てはまる。いつもやっていることだから、今までも何ら問題がなかったから…、という非倫理的な逸脱行為が積み重なり、やがて一気に不祥事として発覚する。あるいは事件・事故を引き起こす。
 倫理的な事件を未然に防ぐには、日々の仕事の中に非倫理的要素がないかと目を配り、ヒヤリ・ハットの段階でその芽を摘んでおくことが肝要であろう。そのためには常日頃からの倫理的意識の涵養が大事であり、だからこそ技術者倫理教育が必要なのである。
 技術者倫理とは、非倫理的な会社や上司にたてつくことではない。周りの悪事を探し出して内部告発を勧めることでもない。公衆の安全・健康・福祉を最優先にするために技術者として常日頃からどのような行動をとるべきかを考えることだ。日常の些細ながらも非倫理的な逸脱行為こそが倫理事例としてふさわしいのだ。

5.倫理問題にどう対処するか
 倫理問題を解く方法は日本技術士会訳編「科学技術者の倫理-その考え方と事例-」に詳述されている。文章がやや難解でたびたび睡魔に襲われるが、大いに参考となるので一読を勧める。
 さて、倫理問題に直面したときに適切な対処を行うためには、どうすればよいのか。技術者倫理の知識も問題解決の経験もないとすれば、適切な対処はまず無理だ。そこで、普段から技術者倫理に関する知識を吸収し、事例をもとにして頭の訓練をし、倫理的な感受性と思索能力を養っておくことが大事になってくる。先に述べたように、常日頃から自分の周りを見渡し、倫理問題が生じそうな事態を察知し、あり得る結果を予測し、その後の深刻な問題に発展するのを回避することが大事である。事態が悪化してから考えるのでは遅すぎるのだ。
 事例として過去の事件を取り上げることが多いが、発露した事件というものは原因が明らかで、従って倫理的に白黒の判断がつきやすい。ところが実際に身の回りに生ずる倫理的問題は、白か黒かという二者択一で結論が出ないことがある。つまり正解が見つからない。倫理問題が個々人の価値のバランスによって微妙に揺れるからである。
 急ぎ足で友人との待ち合わせ場所に向かっているときに、目の前で事故があり怪我人がいる。この場合「怪我人を助ける」が倫理的に正しいだろうが、「友人」が実はやっと見つけた彼女ならどうするか。「友人」が実は会社の存亡に関わる大口取引相手ならどうするか。「怪我人」が自転車で転んだだけならどうか。「怪我人」が瀕死の重傷ならどうか。という具合に、取り巻く条件を変化させると、行き着く結論が変わってくる。地盤技術者の周りの倫理問題も、これと同じことが多々あると思われる。
 「君ならどうする」に12の倫理事例を入れたが、それぞれに隠された事実があるかもしれない。事例を一層複雑にしてグレイゾーンを数多く作り、どこまでなら許せるかを多人数で議論していただきたい。

6.おわりに

ほとんどの会社には「社訓」や「社是」がある。もっともらしいことが謳われているが、守られないからこそ止むなく文章化して掲げているのだ、と聞いたことがある。我らが地盤工学会の倫理綱領。「お題目」を掲げて一安心、後はどうあれ無関心、とならないように、時々は声に出して読んでみようではないか。

参考とした図書など
 1) (社)日本技術士会訳編:科学技術者の倫理-その考え方と事例-、丸善株式会社、 1998.
 2) 今村遼平:技術者の倫理-信頼されるエンジニアを目指して-、鹿島出版会、 2003.
 3) (社)地盤工学会:君ならどうする-建設技術者のための倫理問題事例集-、2003.
 4) その他技術者倫理関連HP、例えば斑目春樹:社会のための技術-技術倫理とは、講義ノート(著者注:これはオススメ)

「21世紀の新技術」で考える

 ご存じの方も多いと思うが、1901年の1月2日付と3日付、つまり20世紀が開けた翌日と翌々日の2日間にわたり、報知新聞に「二十世紀の豫言」なるものが掲載されている。「世界列強形勢の変動はさておいて物質上の進歩について想像する」との但し書きのあとに23の「豫言」がある。豫言が成就したものは、無線電信と写真電話(ケータイ、TV電話)、天然色写真の電送、七日間世界一周、蚊や蚤の滅亡、暑寒知らずの快適生活(エアコン)、買物便法(TVショッピング、ネット競売)、東京神戸間は二時間半の鐵道の速力、災害の軽減(気象予報の発達、耐震設計)、医術の進歩(レントゲン、電気メス)、自動車の世、など。豫言通りでなかったものは、野獣の滅亡、サハラ砂漠の開拓、人と獣の会話(バウリンガル?)、幼稚園の廃止など。で、最後に「二十世紀は奇異(うわんだー、のルビ)の時代なるべし」と結んでいる。

 では21世紀の新技術は何か。ちょっと「豫言」してみよう。2003年に誕生したはずの「鉄腕アトム」とまではいかないが、多種多彩なロボットが出現し、3K職域から介護・福祉まで人間の代わりに活躍しているだろう。パソコン、インターネット、マルチメディア、モバイル(携帯端末)などの情報技術がますます発達し、仮想空間であらゆる疑似体験が可能になるだろう。リアルタイム翻訳機のおかげで言葉の壁が無くなり、世界中の人との自由な交流が進むだろう。香りや触感の送信が可能になり、これによって電子商取引の世界が広がり、ゲームにも応用されるだろう。遺伝子組み換え技術やクローン技術が進み、ナノテク技術を応用した極微小の医療診断マシンが開発されるなど、医療・治療の方法が高度化し、病気で死ぬ人は珍しくなるだろう。燃料電池に高度ITSそして自動運転で車社会も変わり、交通事故は昔語りになっているだろう。

 とまあ、誰でも思いつくようなことを書き連ねてはみたが、21世紀といったところでいま始まったばかり。わずかここ数年、自分の身の回りだけ見渡しても、ブロードバンドにカメラ付きケータイに液晶ディスプレイ。それだけでも自分にとっては予想だにしない「進歩」である。いまや加速度的な「物質上の進歩」はとどまることを知らない。健忘症の兆しさえ見せている頭で、これから100年もの間の「新技術」の予測も展望もできるはずがないではないか。しかもだ。100年後の22世紀初頭に、自分の言うこと、書くことを見届けることもないから、所詮、無責任な言いっぱなし、書きっぱなしになるだけ。というわけで、21世紀の新技術を豫言するのはやめにしよう。

 さて、「技術」は何のためにあるのか、なぜ「新技術」が次々と生まれるのか。答えは簡単。「世のため、人のため」であり、安全、安心、快適な生活をするためだろう。では、有史以来数千年間も生きてきた人類だが、「技術」の積み重ねで生存環境の改善に成功しただろうか。それどころか、新たな危険、不安、不快な環境を増やし続けているのではないか。
 20世紀は物質文明が飛躍的に発展し、物質的な充足による豊かな生活を垣間見させてはくれた。しかしその反面、精神的な満足感や幸福感には結びつかず、地球環境の悪化という手に負えないような負の遺産を残した。情報通信技術は生活環境を便利にしたが、戦争と殺戮のための巧妙な道具でもあった。ゲノムやナノテクは新しい医療技術を生み出しつつあるが、原子力と同様、悪意の集団が手にすれば人類の滅亡にも直結するという危うさを顕在化させている。
 そしていま21世紀。60億の世界の人口は2050年に93億人に達する。2100年にはどうなることか予想もつかない。世界の平均気温は2100年までに5.8度も上がり、海水面が上昇する。沿海や島嶼地域は居住不能になり、農水産業に甚大な被害をもたらす。きわめて近い将来に、渇水と食糧が大問題となっているに違いない。
 方や日本。総人口は今年あたりがピークで、以後確実に減少する。平均寿命は30年先には85歳に達し、22世紀初頭には100歳に達する。50年先には2~3度気温が上がり、降雪量が減って真夏日が増える。日本は人口減少と高齢化という時限爆弾を抱え、しかも地球温暖化という世界的な危機に直面することになるのだ。

 しからば地球温暖化と世界人口増大に伴う渇水と食糧問題を解決する技術、高齢化社会に役立つ技術、さらには循環型社会を構築する技術を開発すればよいのか。それこそが21世紀に期待される「新技術」であり、それによって人類はやっと安全、安心、快適な生活を手に入れることができるのか。イヤそれは違う。「新技術」は一時的に問題を解決し、一時的に安住の地を垣間見ませる。しかし「安住」は人間を甘えさせ、危機感を喪失させ、解決したはずの問題を一層困難な形で出現させる。サラ金地獄で自己破産寸前の者に手をさしのべると、いつかまたサラ金地獄に陥り、交通渋滞を解消するために道路拡幅を行うと、さらに激しい交通渋滞を招くのと同じなのである。すなわち世界的な危機を解決した「新技術」の開発の後に、なお一層世界人口は増大し、高齢化が進み、新たな環境問題が生まれるのだ。まさしく負のスパイラル。識者ならばジレンマに陥るだろう。

 このような深刻な状況が進む中で、物質的な進歩、物質的な「新技術」は一体その価値を見いだすことができるのだろうか。
 将来世代の需要や要請を考慮せずに、地球の資源を大量に消費し、食い荒らしてきた人類は、ここで頭を冷やして、立ち止まって考えなければならないのではないか。豊かさとは何か、幸せとは何か。「将来世代の需要や要請を配慮」し、「閉じた系」の我が地球を良い状態で将来世代に受け渡すために、何をすべきか。通信速度や記憶容量の飛躍的増大とか、愛玩ロボットや立体テレビジョンの出現などといった見かけのバラ色未来にうつつを抜かしている場合ではないだろう。
 科学技術の進歩があたかも人類の進歩であるかのような錯覚を持つが、社会的な環境は変わっても人間の精神的構造は昔も今も変わらず、さっぱり進化していない。相も変わらずの憎み合い、ののしり合い、そして傷つけ合い、殺し合いの繰り返しだ。いかなる物質的な進歩があったとしても、人類の幸せはいつまでたっても訪れない。そこに「人類の知恵」の伝承がないからである。精神的な安定があってこそ、物質的な進歩に価値が見いだされる。いかなる新技術も、社会的な安寧があってこそ真価を発揮する。
 「人類の知恵」、「暗黙知」を伝承する「新技術」はないのだろうか。

豊浜トンネルの記憶

1.その日のこと

 平成8年(1996年)2月10日、土曜日、三連休の初日。いつもの休日ように、9時過ぎにはパチンコ屋に居た。どうも調子が悪い。いつもならアサイチでフィーバー台にぶつかるはずだった。まもなく携帯電話が鳴った。我が家からだった。店内の騒音でよく聞き取れないが、「小樽のどこかのトンネルで落盤事故があったそうで、できるだけ早く本局に顔を出してくれ」とのことらしい。炭坑じゃあるまいし、落盤事故なんてあるはずがない。事故があったとしても、研究所の構造部長をしている自分に何の関係があるんだろう。

 我が家に戻り、着替えて本局に向かったのは11時過ぎだった。道路維持課に顔を出すと、たくさんの人があわただしく動き回っていた。会議テーブルの周りに、NJ土質基礎研究室長と数名のコンサルの方々が待っていた。国道229号の古平近く、豊浜トンネルの坑口付近で大規模な岩盤崩落があったという。数台の車が巻き込まれているらしい。直ちに現場に行って状況を把握して頂きたいとのことだ。既に本局の玄関にバスが待機していた。すぐさまバスに乗り込み、事故現場に向かった。途中で携帯電話が鳴った。北海道開発局が「事故調査団」を結成したこと、自分がその調査団長であることを知らされた。

 寒い日だった。小雪混じりの冷たい風が吹いていた。本局で打ち合わせをするだけだと思っていた。だから軽装で出てきていた。このままで現場に向かうわけには行かない。携帯電話で小樽開発建設部に防寒具等の準備をお願いした。頭が混乱していた。これから何をすべきなのか、サッパリ分からなかった。小樽開発建設部で防寒具に着替えた。午後2時過ぎだったと思うが、やっと豊浜トンネルの小樽側坑口に着いた。バスから降りてトンネルに入り、古平側坑口に向かって歩いた。やがて前方に、岩塊の壁が見えてきた。

 古平側坑口付近は巨大な岩塊で埋まっていた。緊急に設置された投光器の光に浮かび上がったその光景に、一行は息を呑んだ。岩塊の下にチカチカと光るものがあった。岩塊に押し潰された定期バスのハザードランプだった。バスは無惨に圧壊されていた。何人の乗客が居たかは知らないが、生存の可能性はあり得ない状態であった。トンネルの天井付近にかすかに隙間があった。そこから凄まじい寒風が吹き込んで来る。NJ室長が岩塊を駆け上がり、隙間に向かった。しかし、隙間から向こうへは行けない。その間にも、ときおり鈍い音がして、パラパラと石やコンクリート片が落ちて来る。トンネルの壁には大きな亀裂が走っていて、次第に大きくなるような気がした。ここにいても全容は分からない。旧道を通って向こう側に行ってみよう、と誰かが言った。

 小樽側坑口まで引き返して海岸淵に残る旧道に向かった。旧道のトンネルは真っ暗で、天井付近まで採石が積み上げられていた。それを駆け上り、頭を低くして走る。砂塵が舞い上がっているらしく、息苦しい。どこまで続いているのか、行けども行けども出口が見えない。やっと明かりが見えたが、またすぐトンネルだった。一行の吐く息と足音がトンネルに響いていた。トンネルを抜け、切り立った崖下を越えた時、前方に信じられない光景があった。巨大な岩塊がトンネル坑口付近に突き刺さっていた。垂直な崖に刃物で切り取ったような岩肌があった。目測で岩塊の大きさを確認し、手帳に書き留めた。黙々と坑口に向かった。トンネルの中はほぼ完全に岩塊で埋まっていた。ある者はトンネル内の岩塊の壁を上がったり降りたりして、ある者はトンネルの上に上がって巨大な岩塊の周りを回りながら状況を調べた。あたりはもう暗くなり始めていた。

 旧道を引き返し、小樽側坑口付近に戻ると、たった今設置されたという現地対策本部のある豊浜町の集会所に案内された。事故調査団の一行は車座になってそれぞれの調査結果、意見を述べあった。岩盤崩落の規模は分かった。どう対処するかが分からない。その間に、警察の一行が続々と集会所に集まり、机や機材を運び入れて、集会所の中に警察用の本部づくりをし始めた。一方の開発局関係者は、現地対策本部をどうやってつくるのか、それを考えるゆとりがなかった。警察のてきぱきした動きを横目で見ながら、地元建設会社への協力依頼、重機の手配、そして何より岩塊の除去作業に頭を痛めていた。自分は、事故調査団の団長として今何をすべきか、それが分からない。とりあえず小樽道路事務所のT所長に現地状況を報告することにした。現地状況、当面の対処について話し始めた途端、警察の数人がバラバラと周りを取り囲み、熱心にメモを始めた。当面の対処について、岩塊の除去作業をすぐにも行うべきではあるが、再度の崩落による二次災害の可能性もある。十分注意を払う必要があると伝えた。

 地元建設会社の人も加わり、岩塊の除去作業について検討が始まった。両坑口から除去を進める。その際、再崩落の危険性が高いので、地質に詳しい技術者を貼り付ける。誰がその役を引き受けるか、と調査団の一行に尋ねた。NJ室長とコンサル会社のOが手を挙げた。危険な役目だが、誰かがやらねばならない。二人は相前後して集会所を出ていった。自分は本局に戻って現地状況を報告することにし、共に帰るのは誰かと聞いた。しかし一行のほとんどのものは、先ほどの現地調査の結果をもとに岩盤崩落状況の図面作成にこれからこの場で取りかかるという。自分と案内役の二人だけが来た時のバスに乗って現場を後にした。既に夜10時に近い。ふと空腹を覚えた。昼近くに札幌を出てから、誰一人、何も口にしていないことに気がついた。途中、コンビニに寄ってお握りとお茶を買った。小樽開発建設部に寄って、現地の人たちに食糧その他を届けるようにお願いした。

 真夜中に本局に到着。すぐさま関係者に現地状況の説明を行った。両坑口からの岩盤の除去作業は、二次崩落の危険性があり、何度か試したもののついに中止になったと聞いた。既に発破の準備に取りかかっているとも聞いた。本局にたくさんのマスコミが駆けつけていて、現地の状況についての説明を求められた。また、事故調査委員会なるものを立ち上げたので、明朝9時に委員の方々を現地に案内して欲しいと言われた。本局を後にし、自宅に戻った。家族が心配していた。事故の様子がマスコミに大きく取り上げられていることを知った。とりあえずお風呂に入り、ともかく寝ることにした。


2.それからの何日か

 現地対策本部に詰めていた開発局の技術屋連中、コンサル会社の技術者たちは、被害者の早期救出の手段を検討していた。どうすれば岩塊を除去できるか。思いつく限りのあらゆる方法が検討され、実施に移すための機械、装置、時間などについて比較検討が行われた。トンネルの下に新たにトンネルを掘って被害者救助を行う案もあった。とにかく一刻も早く何とかしなければと、ほとんど寝るひまもなく動き回っていた。ついに、発破による岩塊除去が適当と決められた。発破を行うまでに、被害者の家族からの了承、トンネル内の防護などにずいぶん時間を取った。発破後の岩塊除去のために集められるだけの建設車両が旧道に準備された。

 最初の発破のときは現地対策本部に居た。誰もが1回で成功するものと思っていた。発破の直前、実況中継するテレビを見つめて対策本部は静まりかえった。しかし、発破はわずかに岩塊の一部を飛ばしただけで終わった。誰もがため息をついた。その後、発破は2度、3度と行われた。その度に巨大な岩塊はいくらかの小岩塊を飛ばすだけで、完全に破壊させることができなかった。

 2度目の発破が終わった後、NJ室長を交代させるために、古平側の現地作業所に行った。彼は事故当日からずっと現場にいて、建設業者らが各種作業を行う際に二次災害に巻き込まれないように急崖を監視する役目を担っていた。発破の直後には急崖の真下にまで行き、安全を確認して回っていた。事故発生後4日目にもなるのに、一度も家に帰っていない。疲れ切っているだろうし、もう着替えもないはず。そこで、真新しい下着を何枚か持っていった。彼は照れながら下着類を受け取ったが、交代は不要だと言った。現場作業員も彼を信頼しているようだし、意外と元気なので交代させるのは止めた。

 3度目の発破のために、岩塊に穿孔する作業が始まった。バックホウのバケットに作業員が乗って穿孔する。近くでそれを眺めていたが、常時上からバラバラと小石が落ちている。ときおり人頭大の岩も落ちてくる。その中での作業である。何度か作業員が逃げ出す場面もあった。作業中に労働基準監督局の人たちが調査に来た。あまりに危険ならば作業を中止させるという。しかし、何も言わずに立ち去った。

 その夜、現地対策本部の場所からさらに奥に行ったところにある別の工事事務所の建物に、大手ゼネコンはじめ数組の建設業者が集められた。今後の対応について話し合いをするためである。会合が始まった途端、現地の建設業者であるF組の社長が切り出した。「この仕事から降ろさせてください。社員の身の安全を考えると、今のまま仕事を続けることはできません。」F組は事故直後から現地に張り付き、重機で岩塊を除去する作業に従事していた。現場の危険性は誰よりも知っている。被害者の救出も大事だが、社員の命も大事。今この一刻を争う時に、敵前逃亡のように仕事を放棄したいと宣言するのは、とんでもないことに違いない。しかし、もし万が一があれば、会社の死活問題になる。苦渋の決断であった。
 会議室が凍り付いたように静まりかえった。N建設部長が口を開いた。「誰か後を引き継ぐものはいないか。」出席していた業者らは身動きもせず、数秒が過ぎた。長い時間に感じられた。M建設工業が手を挙げた。「当社が引き受けさせて頂きます。」N部長が言った。「Fさん、ご苦労さんでした。今日のこのために、今後とも何ら不利になることはありませんよ。それよりも今まで本当にご苦労さん。そして明日からまたMさんに協力願いますか。」F組の社長は涙を溜めて答えた。「ありがとうございます。協力させて頂きます。」

 3度目の発破が不調に終わった後、建設省から派遣された専門家集団が現地に集合した。岩塊の下でNJ室長が今までの経緯を説明していた。岩塊を見上げていると、縦に入った亀裂が口を開き始めた。次第に大きくなっていった。パラパラと小石が落ちた時、NJ室長が叫んだ。「危ない!」一斉にみんなが走った。大きな岩の塊が転げ落ちてきた。幸い誰にも怪我はなかった。
 その夜、4回目の発破についての詳細な打ち合わせが行われた。飯場のオバサンが美味しいみそ汁をつくってくれた。飯場の現場代理人の方たちが我々のために寝室を空けてくれた。翌日、4回目の発破が行われ、大きな岩塊が転がり落ちた。思わず涙が出そうになった。


3.電子会議室のこと

 豊浜トンネル崩落事故のニュースはマスコミに大々的に取り上げられた。事故現場の地理的条件のために、マスコミ関係者は現場に近づけない。このため、憶測やら間違った情報、悪意のある意見などが行き交っていた。事故対応が幾分落ち着いた頃にインターネットの電子会議室の一つ、トンネル関係の会議室を覗いてみた。励ましの発言とともに不快な発言もたくさんあった。いじわるで、皮肉たっぷりで、偉そうな発言だ。どうにもそれらを黙って見過ごすことができず、一気にキーを叩いて送信した。たった2回の発言だったが、お陰で会議室は盛り上がり、他の会議室からも発言借用の申し出があり、一部の雑誌や新聞にも取り上げられるという始末。以下にその発言内容を記す(原文のまま)。

【豊浜T/皆さんありがとう! 96/02/22 北の旅人】
トンネル会議室の皆様、ありがとうございます。
2月10日午後からほとんど事故現場におりました。4回目の発破で岩塊が転がり落ち、それを見届けて、翌日15日に現場を離れ、それからいろんな対応に追われ、今夜(21日午後10時)久々にパソコンに向かっております。皆さんの発言をまず読み、そしてこれを書いております。

とにかく人命救助が第一と、両坑口から岩塊除去を始めました。二次災害の恐れがあり、すぐに中断となりました。あらゆる方法を考えました。トンネル上方の岩塊を取り除き、上から攻めることにしました。あの巨大な岩塊をどうすれば除去できるか。ワイヤーロープをかけて引き倒す。根本を重錘を振らして砕く。上から小割。自衛隊の戦車。艦砲射撃。等など。今から思えば馬鹿げていますが。

発破の可能性もあり、穿孔作業は早めに実施しました。対策本部で悩みに悩んで、家族の了解を得て実施することとしました。それからは、皆様TVでごらんになった経過です。足場の造成、穿孔作業、火薬の装填。小石が時々落ちます。つららや雪塊も落ちます。2度目、3度目の後は、小規模の岩塊が大岩塊から剥離崩壊します。厳寒の夜でした。その下で発破業者が作業をしました。あまりに危険なため、何度か作業を中断しました。

誰も寝ていません。人の命を軽視した人もおりません。被災者の家族の気持ちを踏みにじるとか、ないがしろにするとか、役所の論理とか、縦割りだとか、そんなことを考えた人もいません。非常事態で、予期せぬ事態が起きて、予定通りにことが運ぶでしょうか。マスコミに顔を出した学者先生に、あの岩塊の下でコメントを頂けたら幸いです。

合同対策本部で、岩塊の除去と厚さ2mまでの土砂の除去が開発局、それからは自衛隊、バスが出たらレスキュー隊、最後は警察、そして、人名が救助された時点で合同対策本部は解散すると決められておりました。建設省派遣8人チームが3回目の後に訪れ、現地技術者と検討して初めて右側から穿孔することとなりました。左側がオーバーハングで危険だからです。その足場(アプローチ)造成に6時間かかりました。無駄な「5時間」なんてありません。T対策本部長のダウン寸前に交代させました。

とまあ、一気に書きましたが、また明日があります。もう寝ます。とにかく、皆様、本当にありがとうございます。皆様のご意見を読んで、少し疲れがとれた気持ちです。
ご遺族の皆様に心よりお悔やみを申し述べるとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

【豊浜トンネル/ほんの少しの真実を 96/02/30 北の旅人】
皆さん、大変お騒がせしました。少しばかりゆとりも出てきましたので、若干の発言を致します。過日の連日にわたるマスコミの、あるいは日本国民のご批判を謙虚に受けとめ、今後このような悲惨な事故を起こさないための方策を考えていきたいと思います。

ただ、ほんの少しだけ真実を(あるいは弁解を、はたまた文句を)述べさせて下さい。

1.崩落当日昼過ぎから、断続的にトンネル内からの岩塊除去を試みましたが、二次災害  の恐れが出てきて、中止せざるを得ませんでした。
2.事故現場はいわば寒村で、携帯電話が通じません。NTTの電話もわずか。余市側と  古平側の連絡もはじめのうちはできない状態で、情報連絡がうまく行きませんでした。
3.災害用衛星通信や無線電話がどこかで傍受され、情報が漏洩したようです。このため、  何度か周波数を変えざるを得なかったようです。
4.被災者の家族が3カ所に分散しており、対策本部の説明に時間差が出て、一部に混乱  が生じたこともありました。
5.現地合同災害対策本部は、狭いところにたくさんの人が入り込んで、本当に横になる  スペースがありませんでした。幾つかあった民宿はマスコミ関係者がいち早く押さえ  たようです。バスの中で待機し続けた被災者の家族はお気の毒でした。
6.あの大岩塊はTVで見るとそんなに大きく見えませんが、ほんとに巨大でした。つく  づく人間の無力を感じました。
7.一刻も早い救助のため、その都度ベストを尽くしました。不本意な結果にご家族の沈  痛はさぞかしと思いますが、除去作業担当者の苦渋も大変なものでした。それを一層  叩きのめすのがマスコミ報道の役目なのでしょうか。批判も非難も、すべてが終わっ  てからではいかがでしょうか。
8.数少ない対策本部の電話に、無責任な一般市民からの電話が多数かかってきて、緊急  情報の障害となりました。
9.…

 詳しい経過をお知らせしたいところですが、事情があってできません。書きたいことはまだありますが、この辺で終わります。人間というモノ、あちらの側もこちらの側も、その行動や言葉をつらつら見るにつけ、所詮、ちっぽけでつまらぬ存在だと思います。現地では警察の現場検証が終了し、現在、事故原因究明のための調査、復旧のための検討が始まったところです。世間が忘れても、こちらは当分終わりません。

たくさんの励ましのメールを頂きました。関係者みんながその内容に感激しております。重ね重ね感謝申し上げます。私自身はトンネルの専門家でありませんので、近々他の会議室に行くことになると思いますが、皆様の温かいお心は決して忘れません。本当にありがとうございました。


4.おわりに

 事故の半年後、事故調査委員会による報告書がまとまった。委員の先生方もさぞかし大変だったろうが、現場調査のコンサルの方々、本省との対応に追われた本局の方々、そして事務局を担当した我々の仲間たち、それぞれが辛い、苦しい経験をした。そして何よりも被害者の家族の方々にとっては何と辛い記憶になったことだろう。
 新しい豊浜トンネルができた。古平側のトンネル出口の脇に防災祈念広場があり、亡くなられた20人の方の慰霊の碑が建っている。積丹半島のドライブの折りにワイフと立ち寄り、しばし合掌。

今期最終年にあたって

 いよいよ中期計画の最後の年度に入りました。研究部門、間接部門を問わず、職員皆様のガンバリのお陰で、わが研究所はこれまでも国交省独法評価委員会から高い年度評価を受けて参りました。今期5カ年の総合評価でも間違いなく高い評価を頂けるものと確信しております。
 偉大な哲学者ソクラテスは、「あなたが家を建てるときどんな大工に仕事を頼むか。クジで当たった大工に頼むか、それとも最も腕の良い大工に頼むか。腕の良い大工に頼むであろう」と言ったそうです。
 国交省独法評価委員会の委員には、厳選の上、評価委員にふさわしい方々に就任して頂きました。開土研分科会委員の方々は、わが研究所の設置目的、運営状況、研究内容を良く理解してくれました。その結果として、高い評価を下して頂きました。腕の良い大工に頼んだお陰です。
 高い評価結果に基づいて、来年度から独法開土研の新たな中期計画がスタートする、はずでした。しかし昨年、「独立行政法人に関する有識者会議」及び「総務省政策評価・独立行政法人評価委員会」等の議論を経て「32独立行政法人の事務・事業の改廃に関する勧告の方向性」が打ち出され、ついに年末に政府行政改革推進本部によって見直し内容が決定されました。その間、手元にあるだけで厚さ30cm以上に及ぶ膨大な資料が作成され、それらを基にした説明が何度も繰り返されてきました。結果はご承知の通りです。
 ソクラテスの弟子プラトンは、敬愛するソクラテスが市民から選ばれた陪審員たちによって死刑判決を受けたとき、次のように言いました。「市民たちはどんな資格で陪審員になったのか。単にクジで当たっただけではないか。しかも、陪審員は政府から日当を貰っている。たまたまクジで当たって、日当がめあてで裁判に参加した市民たちに、ソクラテス先生の思想が理解できるのか。ソクラテス先生を裁く権利があるのか」と。プラトンは民主政治が嫌いになりました。
 見直し内容について、今でも釈然としない気分が残っております。行政改革という名のもとに、大学や研究機関など、最も抵抗の弱い組織がスケープゴートにされているような気がします。研究成果を一切評価しない問答無用のやり方は、研究者の意欲を失わせ、精神的な退廃を招くのではないかと心配になります。
 しかし、一つ一つの独法組織の内容を理解し、適切に評価をするというのは大変な作業でありましょう。例外を許せば大混乱になります。理由の如何を問わず一律に決めるのは昔から行政の典型的なやり方でもあります。それに、既に決まったことに対していつまでも文句や愚痴を言い、抵抗するというのは極めて労力のムダ、というものであります。さあ、気分を入れ替えて、明日に向かって歩き出しましょう。
 というわけで平成18年度から始まる次期計画に向けて、組織・制度の再構築、研究・財務計画などの作業が既に始まっています。歴史的な経緯もあり、二つの研究所を統合するのは大変に困難な作業でもあります。しかしながら、北海道開発行政の着実な推進に寄与するというわが開土研の使命、北海道局や北海道開発局との緊密な連携体制による研究活動、現地に密着した研究開発という伝統、そしてわが国唯一の寒地土木技術に関する研究機関としての機能などは、今後も変わることの無いようにしたいと考えています。
 「研究」は組織を整備し人を配置すればすぐにでも機能する、というものではありません。「土木」の基礎的知識を有するからといって明日から「寒地土木」の研究を行えるものでもありません。長年の研究成果に裏打ちされたノウハウと、広範な知識、豊かな経験を持つ人材が居なければなりません。長く着実な研究活動による成果の積み重ねの上に、懐の深い、信頼される研究所が生まれるのです。
 人の活動がある限り、土木に関する研究は終わりません。北海道がある限り、わが研究所は無くなりません。まずは今期の仕上げに精を出しましょう。そして新たなステップを気持ちよく迎える心の準備をすることにしましょう。
プロフィール

Author:能登繁幸
「ちょっと斜にかまえたエッセイ集」の第1集、第2集、第3集、ならびに毎週発信の「新能登メール」を収納。

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