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結婚お祝いスピーチ(その2)

Aちゃん、結婚、おめでとうございます。ただいま紹介がありましたように、私、Aちゃんの叔父でございます。実は「Aちゃん」なんて呼ぶのは生まれて初めてでありまして、いつもは「たんたん」と呼んでおります。何でそう呼ぶのか、私にはサッパリ分かりません。そもそもこの家族は、不思議な通称をつけるのが得意でありまして、例えば次女は「あっちゃんビー」、私の通称は「ぎっしゃん」であります。

今日はおめでたい席でありますが、「たんたん」の秘められた過去を一つだけ暴露することにします。それは「たんたん」の幼い頃の実に奇妙な癖。ヒマさえあれば人の耳を触るクセなのであります。ちょっと油断していると、そばに来て耳をこちょこちょ、気持ちいいやら悪いやら、何とも奇妙な気持ちになります。時々息をフーッ、思わずギャー、であります。その辺な癖、もう治りましたか。それともS君もその被害者のひとりでしょうか。

詰まらん話はこれくらいにして、まじめな話。今、二人は愛し合っていますが、その「愛」は植物でしょうか、動物でしょうか。たんたん、分かりますか?答え、愛は実は植物なのです。愛が芽生える、愛の花が咲く、愛の実がなるというでしょう。愛というものは目に見えませんが、そういう実態のないものを他の言葉で表現することを、メタファーといいます。

結婚生活のメタファーは船です。二人で手に手を取って船出しますが、順風満帆で快晴のときもあれば、嵐に遭遇するときもある、という具合です。道もまた結婚生活のメタファーの一つです。行く手には山あり谷あり、トンネルあり、という具合です。では幸せのメタファーは何か。実は、今のところありません。幸せを手にした人が少ないために、メタファーが存在しないのです。本日お集まりの皆さんも、おうちに帰ってからじっくりと考えてみて下さい。なかなか適切なメタファーが思いつきません。

しかし「幸せ」どのように作るか、それは簡単です。それは10個の「言葉」を素直に言えるかどうかで決まります。10個の言葉、それは、おはよう、おやすみ、いってきます、いってらっしゃい、ただいま、おかえり、いただきます、ごちそうさま、ここまで8個です。あとの2個は何か。

我が家、自慢できるほどの素晴らしい家庭を作っております。しかし、あとの二つが素直に出ないために、ときには波風が立ちます。あとの二つの言葉、それは、ありがとう、そして、ごめんなさい、なのです。

たんたん、S君、そしてお集まりの皆様、愛も幸せも目には見えません。しかし、言葉によってそれが見えてくるものです。10個の言葉、特に最後の2個、どうぞ大事使っていただきたいと存じます。
詰まらないお話しを致しました。ご両家のますますのいやさかと、お集まりの皆様のご健康を記念し、お祝いのスピーチと致します。本日は誠におめでとうございました。
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出張中の出来事

 函館での仕事が終わり、夕方、JRに乗った。車内はガラガラで、客はポツポツと座っている。弁当と350mlの缶ビールを買って、適当に座った。と、そこへどこかで見たオッサンが入ってきて、同じ並びの通路の向こう側の席に座った。見ると500mlの缶ビール4本とホタテの貝柱風のつまみをテーブルの上に置いている。この人は誰だっけ、と考えるが、思い出せない。そこに何やら楽しそうにおしゃべりしながら4人のオバサンが入ってきて、二つほど離れた席に向かい合わせで座った。おしゃべりは途切れることがない。聞いていると、どうも函館へ観光旅行に来て、その帰りのようだ。4人のオバサンは、市内見学の際の出来事を次々と思い出しながら笑い転げている。

 やがて列車が動き出した。弁当を食べ終わり、缶ビールを飲みながら、隣のオッサンは誰だっけ、と考え始めた。オッサンは既に3本目の缶ビールに手を付けようとしている。4人組のオバサン連中は相変わらず笑い転げている。実に楽しそうである。そんなとき、やっと思い出した。隣のオッサンは職場の元幹部で、大学の先輩でもあって、だけど新聞記者に変なことを言ったばかりに首になった人だ。現職のときに2・3度お会いしてお話ししたこともある。ここは一つ、こちらからご挨拶をした方がいいだろうな。まったく知らない人ではないし、職場の先輩で大学の先輩なのだから。

 と、腰を浮かせ掛けたそのとき、そのオッサンが突然大きな声で、「うるさいぞ、そこの4人! いつまでベチャクチャしゃべっているんだ! 他の客の迷惑も考えろってんだ!」と叫んだ。ピタッと4人の話し声は止まった。自分もあげ掛けた腰を元に戻した。車内もシーンと静まりかえった。オッサンは満足そうにホタテの貝柱を口に放り込み、ビールをあおった。そんな折りも折り、不幸にもどこかで携帯電話の着信音が鳴った。すかさずオジさんは立ち上がり、「携帯電話はデッキで使うように! 他の客の迷惑になるから!」と叫んだ。一人の若者が逃げるようにしてデッキに走った。

 あー良かったあ。このオッサンに挨拶しないで良かった。危なかったなあ。思い出すタイミングがちょっとだけ早ければ、今頃はこのオッサンと自分は知人だったもんな。それにしても、チョッとばかり嫌みなオッサンだなあ。あの4人組は旅のイイ想い出が最後にイッキにぶち壊されたろう。遠くのカップルは夢心地から現実に戻らされたろう。この車内の冷たい空気は何だ。ギスギスするなあ。そっかあ、こんな人だから、早く辞職する羽目になったんだな。独りよがりってやつか。やれやれだな。

 しばらく経って静かな空気に慣れた頃、突然車内にガラガラガラーンと音が響いた。何とあのオッサンが、空になった4本のビール缶をテーブルから落っことしてしまったのだ。さあ、どうする? 車内の乗客が一斉に次の行動を見守った。しかし、オッサンはぐっすり寝込んで起きなかった。乗客は、自分も含めて、残念そうにフーッと息を吐いて座り直したのである。

新彊ウイグル自治区

 2002年の10月、初めて新彊ウイグル自治区を訪れた。地図で見れば中国の西の外れ。だから、砂漠のど真ん中の泥臭い小さな町だと思っていた。ところが首都?ウルムチに着いて驚いた。人口200万人の大都会なのだ。新彊ウイグル自治区全体では約1,700万人の人口だという。人口の62%が少数民族だそうで、いわゆる中国人の顔をしていない。トルコ系、ギリシャ系、ロシア系、モンゴル系。実にさまざまな顔立ちの人ばかりなのである。自治区の公用語はウイグル語と漢語(中国語)。ウイグル語はほとんどアラビア文字と同じ。街の標識は二つの文字の併記であった。

 首都?「ウルムチ」はもともとモンゴル語で、「美しい草原」という意味だそうだ。世界で一番海から遠い町だと聞いた。そのウルムチは北京から2,400km、飛行機で4時間の距離にある。それなのに時間は北京時間(日本より1時間遅い)を使っている。どう考えても無理がある。朝なのにまだ真っ暗だし、夕方とはいえ太陽はまだ天空にある。北京とは4時間くらい違うのではないかと感じた。そこでウルムチの人々は密かに?新彊時間を使っている。これが北京時間より2時間遅れの時間なのだ。ウルムチに着いた日に歓迎の会食があった。開始時間は夜9時からと聞かされて驚いたが、新彊時間では夜7時。それでもまだ空に太陽があった。

 新彊の彊の字の作りは地形から作られた字だと聞いた。すなわち、新彊一帯は北がアルタイ山脈、中央に天山山脈、南にはカラコルム山脈やコンロン山脈が続く。それらの山脈に囲まれてジュンガル盆地とタリム盆地が広がっている。それぞれの山脈が一本の棒で表され、盆地が田の字で表されているというのだ。難しい字に見えるが、いわれを知ると簡単な字だと思うようになる。

 ウルムチ一帯は気温の寒暖の差が大きいので、果物の糖分が高い。火焔山で有名なトルファンに行った折、道端で売っていた干しぶどうを摘んで食べた。自然乾燥したものだそうで、これがやたらと甘い。そこで、我が家のおみやげにビニール袋一杯の干しぶどうを買った。家族は喜んだ。こんな甘い干しぶどうなんて食べたことがないと大騒ぎ。
 それから3週間ほどしたある日のこと、見たこともない小さな虫が飛び始め、次第にその数が増え出した。殺虫剤を撒いても次の日はもっとたくさんの虫が飛び交っている。これはおかしい。どこから湧いてくるのか、あっちこっち調べているうちに、ついに原因がはっきりした。干しぶどうの残りが入っているビニール袋に、見たこともない小さな虫が蠢いている。ビックリした。急いでビニール袋ごと処分した。その日から虫は飛ばなくなったけれど、甘い、甘いとかなりの数の干しぶどうを食べたのだ。しばらくの間、体に不調が出ないかと心配したものだった。「自然乾燥」にも問題があると知った。

 新彊ウイグル自治区には石油、天然ガス、石炭をはじめとする豊富な地下資源があり、広大な土地での農業・牧畜業も盛ん、そして雄大な自然は観光資源になる。歴史を詳しく知らないが、これらの資源に目をつけた漢民族が強引に中国領土に組み込んだらしい。多数の漢人を送り込み、各組織・機関の中枢に収まり、実効支配している。しかし、独自の文字を持ち、特有の文化を持つ民族は独立してもおかしくはない。いつかそんな日が来るかも知れないと感じたものだ。

年頭所感・訓示を斬る

 年頭所感の「正しい」書き方を教えよう。
 まずは「明けましておめでとう」やら「新春を迎え謹んで云々」と出始めの挨拶。次に「さて、昨年を顧みますと」として、昨年一年間の出来事のうち、不幸な出来事を海外、国内、地元の順に述べる。日本経済の動きなども入れた方がよい。それが終わったら「一方」として明るいニュースも少し入れる。次に「こうしたなか」とか「このような情勢のもと」として、自社なり自分の組織の出来事を述べる。いよいよ最終段階。「さて、新年は」あるいは「平成○年は」として目標、課題を羅列する。もちろん明るい話題がよい。そして最後は「終わりに皆様の」としてご健勝、ご健康、ご繁栄、ご多幸、ご発展などの言葉を一つないし二つを入れて「祈念申し上げる」のである。

 年明け早々の業界紙は、たくさんのエライさんの年頭所感で紙面が一杯になる。ほとんどが「正しい」書き方をしているから、どれもこれも内容がほぼ同じ。年頭所感をセッセと書いたエライさん(か誰か)には気の毒だが、最初の2~3行を読んだだけで先が分かり、読む気が失せる。誰も読みはしない年頭所感を紙面一杯に載せる業界紙には呆れるが、誰も読みはしない文章をセッセと書いているエライさんもどうかしてはいないか。誰も読まない文章とは、そこに何も書いていないと同じこと。だから、年頭所感を頼まれたら白紙で提出し、スペース一杯に顔写真だけ載せるのが良いと思う。読者は相当の衝撃を受けて写真を眺めるだろう。

 ついでに業界紙で紹介される各社の代表による年頭訓辞についての考察。
 まずは「今年こそは飛躍の年」とか「さらなる発展」、「今年はさらに充実」というもの。社員一同今までだって懸命に頑張ってきたのであって、今さら今年こそと気合いを入れられても、急に何とかなるものでもない。右肩上がりの昔ならいざ知らず、今のご時世ではさらなる発展は期待できないし、かなり無理があると思う。
 「今年も何々の一年にしたい」というのがある。「今年も」というところが良い。去年もよく頑張った、というニュアンスが出ている。「初心に戻り、堅実な歩みの年にしたい」というのもなかなか良い。初心に戻るのは何に付けよいことだし、懸命に頑張ろうというのではなく「堅実に」というのが聞いている方で安心できる。「不断の努力」というのもあるが、これに「さらにもまして」と付けるとすごいプレッシャーになるけれど、「従来通りの」といえば気が楽になる。
 今年の目標として「顧客満足度」と「信頼の確保」を掲げる会社がかなりある。裏を返せばそれらに欠けている、ということか。中長期目標を掲げ、その進捗状況に触れて鼓舞する、というものも結構ある。今年の重点目標を具体的に掲げる、というのは聞いている方で分かりやすい。それに対して「今年は当社の上昇する年と位置づけ」と曖昧に言われると、どうすればよいのか。社員一同戸惑うのみだ。
 さて、お暇な方は、今年の各社の年頭訓辞を眺めて頂きたい。厳しい世の中だから、社員一同に奮起を促す素晴らしい訓辞があるはず。ワンパターンのマンネリ訓辞ならば、その会社、今年こそアブナイかも。

無駄な挨拶

 12月の末、そして1月の初めは、仕事にならない。「本年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。」「旧年中は大変お世話になりました。本年も……」と、一人終わればまた一人、二人終わればまた二人、年末年始の挨拶に来るからである。だいたいが、お世話をした覚えはないし、よろしくと言われても何にもしてあげられないのだ。
 年末年始の挨拶をする方々は、次々と行き先を変えて、朝から晩まで挨拶をして回るのだろう。挨拶を受ける当方は、次々と人が入れ替わって、これまた朝から晩まで挨拶を受けることになる。結局はどちらも仕事にならない。イヤ、挨拶をして回るほうはそれを仕事と割り切っているかも知れない。だから、挨拶を受ける当方もそれが仕事と割り切ればよい。だが、割り切れない。
 どうして年末年始の挨拶をして回るのだろう。日本の習慣? 文化? 挨拶が日本人の和の精神を形成し、コミュニケーションを形成し、平和につながる行動だから? 尤もらしいけど、年末年始の挨拶でそんな大それたことが達成されるとは思われない。挨拶に行かねば来年の仕事が貰えないから、1年に一度くらい挨拶しなければ忘れられてしまうから、なんていうならうんざりする。
 挨拶に来る人の大半が、カレンダーと手帳を置いて行く。この狭い部屋にカレンダーは一つで足りるし、手帳は今や電子手帳を使っているから、無用の品。それでも手渡されれば、むげに要らないと言うのも大人げないような気がして、ありがとうございますと礼を言っている。そんな自分が腹立たしい。そして自己嫌悪に陥るのだ。
 とにかくこの時期、立ったり座ったり、頭を下げたりで、ぎっくり腰になりそうだ。誰か、年末年始の挨拶に関わる人件費と交通費とエネルギーと業務停滞の損料を計算してくれないか。どんな効果があるのか調べて、費用対効果を明らかにしてくれぇ。


追記:年末年始の挨拶を受ける側で居たときに書いたものだが、今や挨拶に出向く側になっている。相変わらずくだらないとは思いながらも、そうしなければ正月が来た感じがしない、というまさに「年寄り」の境地を理解し始めている。困ったものだ。とは言え、根がズボラで面倒くさいのが嫌いだから、わずか数カ所だけの挨拶にしてお茶を濁している。関係者の皆様、挨拶に来ないといって気分を害さないでください。
プロフィール

Author:能登繁幸
「ちょっと斜にかまえたエッセイ集」の第1集、第2集、第3集、ならびに毎週発信の「新能登メール」を収納。

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