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読者からの感想文

 「ちょっと斜にかまえたエッセイ集」(第一集)を読んでいただいた方々から、たくさんの感想文が届きました。人によっては「感想文を送れよ!」と強要したせいもありますが、ともかく感謝、感謝です。人それぞれ感性が違うようで、個性的で面白い感想文がいっぱいあります。これをただそのまま読み捨てするには忍びありません。何とか保存したいと考えました。そこで、よせばいいのにとは思いますが、第二集の巻末に掲載することにいたしました。
 感想文を送っていただいた方々に承諾を得ているわけではありませんから、本来ここに収録すべきものではないのかも知れません。また、自己顕示とか自己満足に繋がるような不遜な行為であるかも知れません。したがって、そっと読んでいただきたいと思いますし、不快な気分になるようでした読むのをやめてください。あくまでも「私的な記録」ですから。


●本名:一番うしろのプロフィールから読み始めました。すこし飛ばして御尊父のはなしを拝見しました。大変興味深いです。能登さんのキャラクターを顕わすDNAはお父上のそれのほうが優勢だったんでしょうかね。このエッセー集を、全く能登さんを知らない人に読ませて、著者の性格を占ってもらうと面白いでしょうね。それにしても、見渡したところ、このような文章のかける人はホントに稀少種。レッドデータブックにのせなきゃ。

●柴田:サハリン突撃隊で匿名登場できたこと、大変喜んでおります。

●下村:面白かったのを、順に記します。勘違い(特に危機一髪が判らず携帯のメール画面で確認しました)/ビスマルクの選択/ヨコ文字の氾濫/両刃の剣/1トンの価値/パチンコ必勝法/近頃の発表論文を見て思うこと/輝きのとき/2000年の年頭所感/価値観の崩壊/親父の写真とパチンコ(ノモンハン事件を読みます、お父さんの写真を返してもらって下さい)。その他海外からの便りは面白く読ませてもらいました。

●斉藤Y:ボキャブラリーの豊富さと、視点の高さ・確かさに感動しました。そして、カラオケまでもがエッセイを書く上で役に立っているんだなあと感心しました。私も「サー・ギシ」の仲間に入れてください。特に、「21世紀の技術者」で「科学技術は何も物を造るだけが目的ではない。科学技術は人間のロマン、そして文化を育むものでなければならない」の部分は私も全く同感です。

●新崎:先日は突然お邪魔し、ご本を頂き誠に有り難うございました。室蘭への帰りの汽車の中で缶ビール片手に早速読み始めました(酒好きは父親譲りです)。洒脱で、軽妙で機知に溢れ、また、技術者の端くれとして啓発されることも多くさすがと思いました。おもしろく、かつ有意義に拝読させて頂きました。
 真ん中辺りでお父上のお話がありましたが、私の父も、昭和14年7月3日、4日ハクハ川の近くにいたはずです。歩兵第64連隊山形大佐麾下だったと電話した母が教えてくれました。父は大攻撃の始まる前に運良く伝令にでており、帰ってきたら本隊は全滅していたそうです。それから数日間仲間と原野をさまよったと言っておりました。父もそのときのことは多くは語りませんでした。ただ、酔うと俺はノモンハンの生き残りだと自慢していました。因みに父は大正7年生まれです。
 昭和63年にノモンハン事件50周年にあたり、関係者が現地で慰霊祭を行う企画がありました。母を伴って彼地を再び訪れるのを楽しみにしていたようですが、当時父の最初の癌が見つかり果たせませんでした。戦友達が当時の資料や記念誌等を送ってくれているようです。また父もなにがしかの資料を持っていたようです。小樽の母の元にあります。今度帰ったら調べてみようと思います。ひょっとしたらお父上の名前も拝見できるかも知れません。
 ご本を読んで私も久しぶりに父のことを思い出しました。父が戦死していたら私も兄弟も生まれてないわけで妙なものを感じます。

●山口:「菊と刀」についての考察が気になりましたので、本を購入して、読んでみます。また、これからは、「ウンチ」の時代です。地盤工学技術者も、「ウンチ」に関心をもつべきです。地圏環境を物理環境と化学環境に分けて、その調和と制御を考える必要があります。「ウンチ」で、化学環境をコントロールできることは、興味深いです。

●日浅:一気に読ませていただきました。率直で、解かりやすく、共感がもてるところが多く、面白かった。とくに、「1トンの価値」、「親父の写真とパチンコ」は、「へー」、「にや~」、「フンフン」、と読みながら、納得し、感心しました。私ひとりでよむのは、もったいないので、研究開発部で回覧させていただきます。

●正岡:拝読させていただきました。多岐に渡る範囲に対し、独特の視点でズバリとした切り口、物言いに幾度も能登さんのお顔とお人柄を思い浮かべつつ、楽しく読ませていただきました。
 私は本を読むとき、自分が感銘を受けたところのページの隅を折るクセがあります。そして読み終えたとき、折れた個所が何箇所あったかを振り返って、ためになったか否かを自分なりに判断しています。先日読み終えた際、エッセイ集の折れた個所を数えたところ、ニ十数か所もありました。こんなに折れる本は極めて稀です。本当にどうもありがとうございました。
 本中に「土木家」がいないというテーマがあります。以前、何かで読んだ本に、ふるくから日本の職は「か・し・や・かた」であらわされてきた。というのを思い出しました。
 か =家(芸術家、音楽家、作家、建築家、...)
 し =師(医師、能楽師、狂言師...)
 や =屋(薬屋、八百屋、金物屋、土木屋、...)
 かた=方(裏方、土方、...)
そして職業に貴賎はないと判ってはいるものの、自分のいるところは"や"だと少し卑下していた面もあります。でも能登さんの本中、一貫して表現されている「工学や土木のすばらしさ」によって、土木の意義を改めて再認識させていただき、これからは胸を張って"や"でいこう!と思います。PS. それにしてもパチンコファンだとは思ってもいなかったです。

●佐々木:課長より、生前、佐藤正人所長が無二の親友と話されていた理事がエッセイ集をご出版されたことを伺い、私はお世話になり尊敬する正人所長と奥様に是非読んで頂きたいと考え、課長に相談致しました。課長が理事に話して下さったところ、ご多忙の中、お時間を割いてお会い下さり、ご本にサインまでして下さり、感激しております。本当にありがとうございました。
 正人所長の奥様には、頂いたご本をその日のうちに発送し、先日、ご仏前にお供え下さったと連絡を頂きました。御礼とご報告が遅れ、申し訳ございませんでした。
 エッセイ集を拝読して、正人所長や自分の父親を思い出したり、現在の世相にうなずいたり、自分の結婚式を思い出したり、土木のあり方を考えたりと、少し切なく、暖かく、幸せな気持ちになりました。このようなエッセイ集をご執筆ご出版下さり、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

●佐藤:昨日、佐々木さんから能登さんのエッセイ集を送って頂きました。早速主人の写真の前に置きました。「すごいなあ、おめでとう」といって、そして諸々の感想を述べに能登さんの枕元に現れるかも知れませんよ。私もこれからゆっくり読ませて頂きます。

●武田:面白くてどんどん読めちゃいます。こんなにも文才があったかと感心しています。結局、文章とは飾らないで自分の言葉で表現すればあんな硬いイメージの「土木家」の話も笑って読めるんだなーとあらためて感心しました。
 それにつけても、開土研の月報に載せているものがこんなに愉快な(痛快といった方がいいかも?)ものなのかと思いました。とかく我ら凡人にしてみれば「研究者」というだけで頭の硬い融通の利かない連中と思っていましたが、(実は、本来そういうものだと私は思っている)能登だけは違うな。研究者であり、社会の常識者であり融通の利く人です。
 次の「エッセイ集」が楽しみです。期待しています。

●志賀:先日は素敵なエッセイ集をお送り頂き、ありがとうございました。ハードの分野をおやりになっていた方とは思えない柔らかな発想・表現の数々、参りました。降参です。

●渋谷:開土研の月報をあまり真剣に読んだ記憶はなく、こんなにおもしろいものが書かれていたのかとびっくり! 月報より、一冊の本で一気に読む方がよほどおもしろく、遅れてきた夏と、住民の反対のシュプレヒコールを浴びている重金属処理施設を忘れるのにはもってこいの読み物です。

●吉井:いつものことながら、読みやすくてニヤリとしながらも感心させる技には感心しました。ちなみに斜を「ハス」とは読めず、あとがきで初めて知りました。
 なかで一番気に入ったのは、やはり「雨のオスロの物語」でした。その光景を想像できるからかもしれません。文が短くて、緊迫したその瞬間瞬間が映画の1コマ1コマの移り変わりのように感じます。今度、この手法を利用させていただきます。
 私がビール紀行なんぞを書き始めたのは開土研に行く前だったのですが、それを月報に載せてもらったり、書き続ける気になったのは、能登さんのサロンに勇気づけられたからだなあ、と改めて感じました。紀行文は当時知らなかったのですが、もし知っていたら真似をしているように感じて、後込みしたかもしれません。私の書きたかったことが既にシンプルに能登さんの手によって書かれていたようです。
 私が駄文の世界にはまりこんで、まじめな論文を書けなくなったのは、能登さんのせいかもしれません。優秀になり得た研究者の未来を迷わせ、生臭い行政の世界に追いやった責任をとって、今後もみんなを笑わせ感心させるエッセイを書き続けてください。

●松田:なんと、我々の披露宴のことまで書かれて、正直はずかしい思いでいますが、このようにスピーチの内容が素晴らしいエッセイ集の一部として本になって遺される事を考えると、記念になり大変感激しております。

●太田:札幌の11年は、皆様のおかげにより充実した時間でした。頂きましたエッセイ集にはその大きな部分が凝縮して詰まっているような感じがします。いつまでも大切にしたいと思っております。

●斉藤K:いただいたエッセイを読みました。感想をお伝えします。
*オリジナリティーのかたまり
 通常の大衆が見る目から視点を変えた観察力が鋭いと思いました。
 最近読んだ本に「犬は ビヨ と泣いていた。」(光文社新書 山口仲美)これは、日本語における擬声語、擬態語についてまとめた本で、引用文献は全くナシ!すべてオリジナルであることに感銘しました。能登さんの考え方も大変個性的で 書かれた時期は古くても、感覚は新鮮で興味深いものでした。
*第一感を大切に
 とかく日本人は行動原理に乏しく、主体性がない! これが外圧に弱い日本というレッテルになっています。要は事柄に対してよく考え、自分の意見を持つこと、が不足しているのでしょう。言いたい放題は慎みながら、言ったことには責任を持てる範囲で主張をすることが大切ですね。ひとの意見に惑わされず、第一感を大切にすることが必要であることを認識しました。
*文章は力
 文章にしておくことの必要性を再認識しました。学会論文は論文にまとめておけばあとに残ります。学会論文に限らず、その時々に身の回りに起こったこと、感じた事柄も同様にまとめておくことのメリットを認識しました。
 文章に残すことは時間を物質化すること、すなわち、ど忘れ防止になる、文章に残すことにより、自分の姿を客体視できること、また、今後のとるべき方向の軌道修正ができること、いつ何時誰の目にとまるかわからない、可能性が広がることだとおもいました。
*話題のネタ
 「技術者の倫理」と併せて仲間内で議論をするテーマがたくさんあります。能登さんの主張については同感するものもあれば、異論もあります。これらを肴に4~5人位で議論をすると場と余裕を持ちたいものです。(いつぞやワインバーで仲間に入れていただいたことを思い出しました。死刑の話をした記憶があります。)

●清田:おじさんのエッセイの感想、遅くなってすみません。全体的に見て、私の知っているおじさんが、こんなにいろいろな分野に敏感で、知識も豊富なことに驚きました。しかも、ほとんどが10年かそれ以上前にかかれたものなんですね。このエッセイなら、どんな分野の人たちにも受け入れられるだろうと思いましたが、やはり根っこは「土木屋」のエッセイ集。長年社会人として働き、かつ土木の大学にも出入りしている私にとっては、社会人・学生の両方の立場から共感できる文章がたくさんありました。 
 最初の方のエッセイは「土木」の響きに関するものでした。確かにこんなことを私も考えたことがありました。そのときの自分の気持ちをうまく代弁するとこういうことになるんですね。また、身近なネタから将来を憂うものもたくさんありました。特に報告書ばかり書いていた私にとっては、「ワープロの功罪」などは笑いを誘う良い例でした。
 一番印象に残ったのは「ヒマとマヒ」。やるべきことがたくさんあるのに逃げてばかりいる私に向かって、このままでは好調な時期など来ないと教えてくれました。あとは「輝きのとき」。自分に才能があるとも考えられず、既に29になろうとしていますが、ひょっとしてこの業界に何かを残せるのではないかと気持ちを高揚させてくれました。
 また、多少ですが個人的におじさんを知っている者として、おじさんの人間味にも興味を持って読むことができました。ちょっとオヤジギャグではないか?とか中年の愚痴?とか思える部分もありましたよ(笑)。そういえば、おじさんのことを知っている若い某社の社員が、「能登さんは研究所のお偉いさんには見えないよ。土方のオヤジみたいな気質で頼りになる」と言っていました。彼にもこのエッセイを見せてやろうと思っています。

●下山:私はどう考えてもビスマルクには選ばれないタイプのようです。でも嬉しいことに、エッセイ集を読むタイプに選ばれたのです。読後感想文は本当に久し振りなのでとても難しい!!拙い文章ではありますが以下に記しましたのが私の感想です。
 まず恥ずかしいことに、私はタイトルを読むのに体を横にしてしまいました。後の祭りですね。
 学会には多くの方がお見えになりますので当然多くの方とのお付き合いになるわけですが、なんの拘りもなく過ぎ去っていく方が非常に多いなかで、能登様はとても存在感のある方という印象をずっと抱いておりました。エッセイ集を読み始めて、やはり豊かな表現力と観察力に優れ、人生に対して好奇心の旺盛な方であることを再確認いたしました。
 生きていくるセンスなるものでしょう。それに比べると私はなんと怠慢な生き方をしてきたのでしょうか?反省、反省。いろんな思いが。。。。
 現代の若者の態度についての批判、父親の戦争友達との話等を読んでいて共感を覚えました。何と年齢が近かったのですね。父は昨年亡くなりました。亡くなる3か月前のある日、突然老紳士2人が我が家を訪れました。母はとても驚いたようです。戦争中に父にお世話になり、その時は少年兵だったという方でした。50年振りの再会です。その後父の若い頃の事を聞きたく、今では私がその方々と親交を持つようになりました。お話してみると昔からの知り合いだったような気がしますから不思議なものです。
 ビスマルクの選択をはじめ、能登様がお気に入りの文章には、自分に思い当たることが出てきたり、その時はドキドキしたり大変楽しく読ませていただきました。
 また、媒酌人挨拶がこんな風に楽しかったらきっと印象的な結婚式になったことでしょう。Sさんは幸せものです。もうすぐSさん宅にお邪魔させていただく事になっておりますので、結婚式の写真を見せていただこうと思っております。きっと楽しい語らいになることでしょう。
 コンピュータで例えると、多くのソフトを持ち合わせた人は人生を楽しむことができるのではないでしょうか? 私には、専門のソフトも入っていないし、趣味のソフトも中途半端な常態で専門の域には達しません。能登様のように専門から趣味まで幅広いソフトを十分に活用した人生を送りたいと言う事が今回の読後感想文になるような気がしました。
 前川 清は好きですが、今は母の影響もあり、氷川 清(漢字は?)が好青年だと感じて応援しています。歌も上手いし、マスクもスタイルも申し分ありません。能登様のレパートリーに加えていただければ有難く存じます。

●金子:先日は、エッセイ集お送りいただき、ありがとうございました。全部読んでから、メールしようと思っていたら、こんなに遅くなってしまいました。結婚式の所を妻と一緒に「全部書いてあるね。すごいなあ。」と言いながら読みました。当時のことが懐かしく思い出され、ほのぼのモードになりました。

●野口:毎年11月に自宅から自転車で10分の所にある病院で1泊2日の人間ドックを受検しています。本を持ち込んで、禁酒して家族から離れて禁欲生活(1日だけですが)を送るのは、年に一度とはいえ楽しみにしています。
 今年は頂いた本を持ち込み、読ませていただきました。肺の検査で2週間入院されていた時と自分がダブリ、また聞いた話もあり一人ニヤニヤしながら楽しませてもらいました。堺屋太一が大臣をやめてから、一日の生活を大体4等分して生活しているそうです。睡眠6時間、娯楽6時間、情報収集や勉強のインプット6時間、物を書いたり人に話すアウトプット6時間だそうです。私を含めて大抵の人は、このアウトプットができていません。長年月報に書かれていたとはいえ、エッセイ集を読んでまず感じたのはこのアウトプットの時間を持たれていたということです。原稿を頼まれただけで、暗い気持ちになる私とは対照的です。
 「勘違いの項」に出てくるようなことが、この度の人間ドックで経験し、一人笑ってしまいました。眼底写真を撮る際に、係りの女性が「赤いマルとした、マルが見えますか?」と聞かれたので、私は「赤いマルは見えますが、下のマルは見えません」と答えました。「赤いマルひとつ見えればいいです」と女性は言いました。これって、日本語の乱れでしょうか?それとも、私がアホなんでしょうか?一人で笑ってしまいました。
 言葉の乱れもそうですが、最近とみに気がつくのが若くて有名校出身者にありがちな、自分で考えずに権威だとか役職といった肩書きに判断を左右されていることが、多いということです。「有名進学校、一流大学出身はダメ。田舎の高校出身者が良い」と、ナルシストの私は若い奴と酒を飲むときに持論を展開しています。それに関連して能登さんの「礼受小学校複式授業=高等飛び級教育」の例を出させてもらっています。受験勉強ばかりで、答えの出る問題ばかり解くのに長け、人と触れ合わない人間が多くなってきているのではないでしょうか。
 私は、1000字程度のエッセイがピリッと、香味が効いていて楽しく読ませていただきましたが、一番感激したのは結婚式のスピーチです。能登さんの人柄を知っているせいもあるのでしょうが、緊張しているご両人や不安な気持ちのご両親にとって、深い洞察と暖かく見守ってくれている上司は本当に有り難く感じたことでしょう。結婚式の様子が目に浮かぶようです。「ビスマルクの選択」を読み返してしまいました。

●川村:楽しく、と一言でくくるのは語弊があるかもしれませんが、大変楽しく読ませて頂きました。読み進めるうちに文体に吸い寄せられ、結果、一気読みでした。思わず声に出して笑ってしまう時もあり、なるほど、と大きく頷く時もあり、これから理解できるのかなと思うことしきりでした。

●関寺:先日は本をいただきありがとうございました。土木に関するお話、旅行記、結婚式のスピーチ、どのページも楽しいお話で、さっそく我が家の「土木屋」の父にも薦めて、親子で楽しく読ませていただきました。子供の頃、ままごとのお買い物ごっこのレジ代わりに使っていた(笑)タイガーの計算機の名前が出てきた時は、懐かしくて、家族でその頃の父の仕事の話や、家族の話題に花が咲きました。今後、またこのようなお話を披露されることがありましたら、ぜひ読ませていただきたいです。楽しい時間をどうもありがとうございました。

●山岸:大変興味深く読ませて頂きました。奥様始め、ご家族が登場するところはほほえましいことと、大事にしていることを感じました。また「ハッタリのススメ」は、能登さんは「自信」であり、私は「迷信」。さしずめこんなところかな。他に、能登さんの思わぬ面を知ることができました。

●今村:頂いた本、土・日に読ませて貰いました。
1)エッセイの中で特に面白かったものは、ハッタリのススメ、勘違い、吊り橋で遊ぶ、1トンの価値、性差別、等身大の機械、近頃の発表論文をみて思うこと、インフォームド・コンセント、アテンション仮説、輝きのとき、活字と映像の効果的活用術、価値観の崩壊、「紀行文」すべて、です。1000文字より1600文字のほうが、意を尽くしていてイイと感じました。概して能登さんのエッセイは、読んでいて、
①スピード感があって、パンチが効いていて歯切れがいい。
②日頃よく考えておられるから、面白い(というよりセンシティブな)ネタが多い。
③インテリジェンスがある(これがないエッセイは詰まらないですね)。
 ということを感じました。「そうだ、そうだ」と思いながら読みました。
2)紀行文はすべて面白いと思いました。これを読んで能登さんは「書き手」だなとつくづく思います。紀行文を、行ったことのない人に面白く読ませるのは大変な筆力がいります。五木寛之の紀行文なぞ「これが作家の紀行文か?」と、金を出して買ったのに腹が立つくらい下手くそですね。それに比べて能登さんのはいい。特に手紙形式がいい。心情溢れているのがいいのでしょうね。

●中澤:これだけのエッセイを書き続けたということは、正直驚きです。素晴らしいエッセイ集です。「成せばなる成さねばならぬ何事も」、本当にそうですね。私もMaking of "Isami Hiroi"でも書こうかと思いましたが、能登さんのような文才があれば…と思うのですが。

●韮沢:全部読んだあとの感想…、「なにか能登君のこれまでを読み取ってしまったような感じがする…ぞくっ」(笑)、あまり本気にしないでいいのですが、能登君がたどってきた道筋をそのまま受け止めてしまった感覚が残って、いい意味で貴兄の歴史をたどることができました。能登君の仕事の部分部分では小生も分かっているところがありますが、それが見事に繋がっている様子が、目の前に明らかにされた感じがしました。(いい意味で、いい意味で(笑))。
 その中で、一番印象的だったのは、「親父の写真とパチンコ」です。私が言うのは何だけれど、このエッセイは実に秀逸ですね。
 他にもたくさんありますが、ロンドン便りなどでは、小生も何度か最近行っていますし、特に今年の正月は、英国の産業革命以降の橋を訪ね回って、モーターウエイをレンタカーで飛ばしましたから(メーターが110と出ていた)、旅行のシーンや地名などはよく分かります。
 ともかく、ありがたいことでした。貴兄もどうぞこれからもおいしくお酒をたくさん飲まれますように。ではお元気で。

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まえがき

 前回のエッセイ集のあとがきに、「斜にかまえた」の「斜」をちゃんと「ハス」と読んでくれただろうかと書いた。それなのに「シャにかまえた」のエッセイは面白かった、などという人が結構いた。あとがきまでは読んでくれなかったらしい。
 敵に対し刀を斜めに構えることを「斜(ハス)にかまえる」という。転じて、物事に正面から接するのではなく、皮肉な態度や幾分ずれた考えで対応することを「斜にかまえる」という。真正面を向いていないから、思わぬ事態になってもサラリとかわすことができる。さらにはまたキザな態度、気取った態度なども「斜にかまえてる」ということがある。
 私、長いこと国立研究機関で研究業務に携わった。つまり国家公務員である。国家公務員たるもの、清廉潔白で公明正大であり、国民の疑惑や不信を招くような言動を慎まなければならない(ちょっと汗)。だから、世情に対する異論、反論はまず許されない。言いたい放題は御法度なのである。しかーし、時には人並みに文句も言いたい、皮肉も言いたい。どうすれば自由にもの申すことができるか。簡単である。「斜にかまえる」のが一番なのだ。それに「キザな態度」というのも何かしらいい響きだ。
 そんなわけで「斜にかまえた」をタイトルにした次第。今や公務員ではないから好き勝手にもの申しても良いのだが、それでも拙文が中央官僚の目に触れ、逆鱗に触れることがあるらしい。時にはエライ方々から「元公務員が何てことを書くのだ!」という文句や苦情が届く。ジョーダンやブラックジョークを理解できない御仁が結構いるらしい。そんなときはまさに「斜にかまえて」サラリとかわすことにしている。
 剣術では「斜にかまえる」ことを「斜眼のかまえ」ともいう。斜眼とは「やぶにらみ」。やぶにらみなら時には「見当違いの見方」もする。今回のエッセイには見当違いが多々あるのかも知れない。が、それでもいいのだ。前回同様300部の自費出版。恥をかいてもごく一部の方々に知られるだけ。斜にかまえてサラリとかわそう。

2007.4 能登繁幸

目次

Ⅰ.ちょっと短めエッセイ集
     酸っぱいブドウの論理
     ケータイ電話
     バリの休日
     割れ窓理論
     ときは元禄15年
     サンタ-我が家の場合-
     無駄な挨拶
     年頭所感・訓示を斬る
     新疆ウイグル自治区
     出張中の出来事
     ヒトを育てる
     作風問題
     女ヘン
     トシのこと
     結婚お祝いスピーチ(その1)
     結婚お祝いスピーチ(その2)

Ⅱ.ちょっと長めのエッセイ集
     美人とブスのハナシ
     地震にまつわるハナシ
     セキのエジプト
     侮蔑的表現のヘェ~
     バーナム効果
     テレビを見ていたら腹が立ってきた!
     我が家の屋号
     毛髪に関する考察
     せっかちの理由
     「ノアの箱船」への疑問
     「千夜一夜物語」の怪
     映画のハナシ
     彼らのホンネ
     タバコを吸わせろ!
     黄金比
     すべからく
     テレビを見ていたら腹が立ってきた!(パート2)
     世界の中心
     筆記具レクイエム

Ⅲ.ちょっとまじめなエッセイ集
     技術者の倫理について
     ハリネズミのジレンマ
     寒冷地のスタンダード
     空港建設への素朴な疑問
     JABEE審査顛末記
     今、技術者に求められるもの
     ハーモニー・ルール
     二つの責務
     二つの原理から四つの原理へ
     ホントの歴史
     今期最終年にあたって
     「21世紀の新技術」で考える
     豊浜トンネルの記憶
     技術者倫理について
     地盤工学と私

Ⅳ.読者からの感想文

筆記具レクイエム

 ふと気がつけば、最近、鉛筆を使った記憶がない。イヤ、文章を書いていないというのではない。このところ文章はもっぱらパソコンで作っている、ということだ。ときには書類への記入やメモを取るために筆記具を使うが、使うとすればシャープペンシルかボールペン。それも圧倒的にボールペンのほうが多い。
 いずれの日か、この鉛筆やシャープペンシルは記憶の彼方となり、やがて忘れ去られるのだろうか。ヨーシ、しからば鎮魂のために、鉛筆とシャープペンシルの輝かしい日々を書き残しておこう、と思うのである。

1.鉛筆
英語でwood cased pencil、日本では略して単にpencil。語源はラテン語の「ぺニシラム(しっぽ)」。古代、文字は鉛を動物の皮などにこすって記述した。初期の筆記具は鉛の棒を毛で包んだものであり、その形がしっぽに似ていたところから名づけられたという。
 さて、ときは1564年。エリザベス王朝時代のイギリス、カンバーランド山脈のボローデル渓谷というところで、良質の黒鉛が発見された。この黒鉛の塊(通称、石墨)を紙にこすると鮮明な黒い文字を書くことができる。しかし黒鉛をじかに手に持つと手が汚れる。そこで、これを木に挟んだり布で巻いて筆記具として使うことになった。この筆記具は当時のヨーロッパに一大センセーションを巻き起こした。
 それから150年あまり、ボローデル渓谷の黒鉛もすっかり堀りつくされてしまった。そこで黒鉛に代わるものはないか、各所で様々な研究が進められた。特にフランスは当時、イギリスとしばしば交戦していたために鉛筆がなかなか手に入らない。その頃コンテという人が、黒鉛に粘土を混合して高温で焼き固め、鉛筆の芯を作る方法を発明した。1804年、帝位についたナポレオンはさっそくコンテを召し抱え、鉛筆製造を行わせたという。コンテの発明は現在の鉛筆芯製造方法の基礎となっている。
 ところで、黒鉛は炭素の結晶。金属の鉛とは全く別物である。外観が似ているので「黒い鉛」すなわち黒鉛と呼ばれた。本来「黒鉛・筆」と言うべきなのに単に「鉛筆」としてしまったために、鉛筆の芯に鉛が入っているかのように思われているが、全くの誤解である。鉛筆をナメったら体に悪いからダメ、と小さい頃言われたが、全く問題はないのである。

2.万年筆
 鉛筆ができる前の筆記具は鵞ペン(羽ペン)が主流だった。ご存じ鷲の羽根の先を尖らせたもので、羽根の先にインクを付けて書く。しかし、少し書いてはインクを付け、少し書いてはインクを付け、という大変なシロモノである。さらに羽根は簡単に折れる。おまけに字を書く人が増えてきて鷲の羽根も不足して来る。そこで1748年、イギリスのヨハン・ジャンセンが金属ペンを考案した。これによって、何世紀もの間続いた鵞ペン産業は急速に衰退していった。
 1809年、イギリスのフレデリック・フオルシュが鉄製のペンを付けた胴の中にインキを溜め、必要に応じて指で押し出すという、今の万年筆に近いものを発明した。しかし、しきりにボタ落ちがするために実用には至らなかった。1884年、アメリカの保険外交員ウォーターマンが毛細管作用を利用してインキのボタ落ちがない実用万年筆を発明、新製品として発売した。1889年、さらに改良を加えたジョージ・パーカーが会社を設立。1895年、日本に万年筆が輸入され、「万年筆」と名付けられた。英語ではご承知、fountain pen。直訳すれば、噴水式筆。万年筆とはよく言ったものだ。
 ちなみに日本の三大万年筆メーカーといえばセーラー、プラチナ、パイロット。セーラーは、明治44年(1911)、広島県呉市で創業を始めたが、呉は海軍の町。そこで、海軍の水兵さんたちにちなんで「セーラー(sailor)」のブランドを使用することになったとか。一方のパイロットは、向こうが水兵ならこちらは水先案内人で、ということでパイロット(pilot)のブランドを使用しはじめた、あるいは創始者が船乗りだったから、などのハナシがある。またプラチナは、業界の王者たらんとして命名されたらしい。

3.シャープペンシル
 意外とその歴史は古く、1822年、イギリスのホーキンスとモーダンによって考え出され、1838年にはアメリカのキーランが製造販売をはじめたといわれている。しかし、非常に無骨な姿で広く使われるほどではなかったらしい。今の形のシャープペンシルを発明した人は誰か。あまりにも有名なのでご存じの方が多いと思うが、それは江戸っ子の錺(かざり)師(=金属細工職人)、早川徳次。のちに、わが国を代表する家電メーカー、シャープの創業者ともなる人物である。彼の波瀾万丈の生涯は、シャープのHPに詳細に紹介されているが、極めて興味深いので、以下に紹介しよう。

 大正4(1915)年。錺屋の丁稚奉公を終えた早川徳次は、東京・本所に、六畳一間の借家で自分の店を構えた。なんとか一人前の職人として独り立ちしたばかりのこの青年に、ある日「繰出鉛筆」の金具の注文が舞い込んできた。繰出鉛筆というのは、軸がセルロイド、芯を押し出す螺旋状の金具はブリキでできていて、当時、夜店で売られるオモチャのたぐいであった。
 あまりにも稚拙で、体裁も冴えない繰出鉛筆を眺めながら、「万年筆のように丈夫でシャレた筆記具にできないか」と徳治は考えた。そこでまず、セルロイドの軸をニッケルでこしらえる。芯を繰出す金具は一枚板の真鍮を三段絞りに絞って先を細くし、そこに溝を螺旋に彫るという、まさに錺職人ならではの手の込んだ仕掛けを施した。かくして新しい繰出鉛筆ができ上がった。徳治、若干21歳の時であった。
 徳次はこれに自分の姓を冠して「早川式繰出鉛筆」と命名し、すぐさま特許を申請した。そして新発明の繰出鉛筆を片手に問屋筋へと出向き、製品の優秀さを説いて回った。しかし、「和服には似合わない」、「冬には冷たくて使えない」など業界の反応は冷たかった。連日、不評の嵐。新米職人の自信はあえなく砕け散ったのである。世界初の画期的な筆記具は、このまま埋もれるかにみえた。
ところがある日、徳次のもとに、横浜の貿易商社から大口の注文が舞い込んできた。欧米で引っ張りだこの大ヒットだというのだ。そのうちに海外の評判を聞きつけた国内の問屋から、先を競って注文の申し入れが殺到した。
 大正9年に国内の特許を取得、その6年後にはアメリカでも特許を取得。この間も、徳次は休むことなく改良を積み重ねた。そして新たに極細芯を採用し、「削らなくてもいつでも使える鉛筆」を意図して「エバー・レディ・シャープぺンシル(常備芯尖鉛筆)」という名称に変え、その後さらに呼びやすいように「シャープペンシル」と改称した。徳治のシャープペンシルは、繊細でモダンな時代の先端を行く筆記具として、モボ・モガの人気の的となった。
 錺職人であった徳次は、デザイン面だけでなく、機能面でもいろいろな細工を試みた。たとえば、芯を入れるキャップに消しゴムを最初に付けたのも徳次のアイデアだ。さらに、カレンダー付き、ハサミ付き、方位磁石付き、体温計付きなど、誰がいつ使うかは知る由もないが、ともあれ多機能化を施したシャープペンシルを次々と製品化した。こうして、発明実業家としての彼の商才は一本のシャープペンに結実し、大正11年に催された東京博覧会では金杯を受賞する。

 以上、シャープペンシル誕生の秘話であるが、上に記したように「シャープペンシル」は和製英語。外国でシャープペンシルといっても通じない。アメリカでは、automatic pencil(自動鉛筆)、あるいはmechanial pencil(機械式鉛筆)、イギリスでは、propelling pencil(推進式鉛筆)というとのこと。

 ちなみにその後の徳治。東京博覧会の翌年、大正12年9月1日、突如襲った関東大震災によって徳次の町工場は全壊。同時に妻と子供も失った。すべてを無くした傷心の徳次は、単身大阪へ。今の阿倍野区長池町に借家を定め、裸一貫から再出発した。得意の技術を生かして「早川電気」を設立。わが国初のラジオ・テレビの量産化や、世界初の電卓の製品化など、数多くの画期的な新製品を次々と世に送り出す。そして社名をあの「シャープ」としたのである。大阪のこの借家こそ現在のシャープ本社の所在地なのである。

4.ボールペン
 ボールペンはペン先に小さなボールが入っている。紙に押しつけて動かすとボールが回転し、軸の中に入っているインクが引き出されて書くことができる、という仕組みの筆記具である。
 ボールペンは、1884年、アメリカのジョン・ラウドによって発明された。しかし、万年筆と同様インクが漏れる欠点があり、実用的には不十分だった。1943年、新聞の校正係をしていたハンガリー人のラディスラオ・ピロという人が、現在のボールペンに近いものを生み出した。細い管に粘度の高いインクを入れることによって、インク漏れを解消した。
 日本にボールペンが入ってきたのは第二次世界大戦直後であり、1947年頃からは日本でも生産が始まった。セーラー万年筆が初めてボールペンを国内発売。「玉ペン式万年筆」と称したとか。初めのうちは材質や技術の問題で品質が安定していなかったが、急ピッチで努力が重ねられ、1950年代には品質が安定してきたという。1966年には、水性ボールペンが日本で開発された。その後も品質の安定やインクの工夫(ジェル・インク、蛍光インクなど)が続けられ、ボールペンは今なお進歩を続けているそうだ。

結婚お祝いスピーチ(その2)

Aちゃん、結婚、おめでとうございます。ただいま紹介がありましたように、私、Aちゃんの叔父でございます。実は「Aちゃん」なんて呼ぶのは生まれて初めてでありまして、いつもは「たんたん」と呼んでおります。何でそう呼ぶのか、私にはサッパリ分かりません。そもそもこの家族は、不思議な通称をつけるのが得意でありまして、例えば次女は「あっちゃんビー」、私の通称は「ぎっしゃん」であります。

今日はおめでたい席でありますが、「たんたん」の秘められた過去を一つだけ暴露することにします。それは「たんたん」の幼い頃の実に奇妙な癖。ヒマさえあれば人の耳を触るクセなのであります。ちょっと油断していると、そばに来て耳をこちょこちょ、気持ちいいやら悪いやら、何とも奇妙な気持ちになります。時々息をフーッ、思わずギャー、であります。その辺な癖、もう治りましたか。それともS君もその被害者のひとりでしょうか。

詰まらん話はこれくらいにして、まじめな話。今、二人は愛し合っていますが、その「愛」は植物でしょうか、動物でしょうか。たんたん、分かりますか?答え、愛は実は植物なのです。愛が芽生える、愛の花が咲く、愛の実がなるというでしょう。愛というものは目に見えませんが、そういう実態のないものを他の言葉で表現することを、メタファーといいます。

結婚生活のメタファーは船です。二人で手に手を取って船出しますが、順風満帆で快晴のときもあれば、嵐に遭遇するときもある、という具合です。道もまた結婚生活のメタファーの一つです。行く手には山あり谷あり、トンネルあり、という具合です。では幸せのメタファーは何か。実は、今のところありません。幸せを手にした人が少ないために、メタファーが存在しないのです。本日お集まりの皆さんも、おうちに帰ってからじっくりと考えてみて下さい。なかなか適切なメタファーが思いつきません。

しかし「幸せ」どのように作るか、それは簡単です。それは10個の「言葉」を素直に言えるかどうかで決まります。10個の言葉、それは、おはよう、おやすみ、いってきます、いってらっしゃい、ただいま、おかえり、いただきます、ごちそうさま、ここまで8個です。あとの2個は何か。

我が家、自慢できるほどの素晴らしい家庭を作っております。しかし、あとの二つが素直に出ないために、ときには波風が立ちます。あとの二つの言葉、それは、ありがとう、そして、ごめんなさい、なのです。

たんたん、S君、そしてお集まりの皆様、愛も幸せも目には見えません。しかし、言葉によってそれが見えてくるものです。10個の言葉、特に最後の2個、どうぞ大事使っていただきたいと存じます。
詰まらないお話しを致しました。ご両家のますますのいやさかと、お集まりの皆様のご健康を記念し、お祝いのスピーチと致します。本日は誠におめでとうございました。
プロフィール

Author:能登繁幸
「ちょっと斜にかまえたエッセイ集」の第1集、第2集、第3集、ならびに毎週発信の「新能登メール」を収納。

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