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154.3K

皆さまお早うございます。
三連休でした。私は録画した映画の消化でクタクタ。昔の三本立て映画、よくも飽きずに見ていたものだと、若いあの頃を思い出しました。映画鑑賞も体力勝負なんですね。

さて新能登メール(154):3K を送ります。まじめでやや長編。

田村喜子(よしこ)さん。ノンフィクション作家。2012年3月24日逝去。享年79歳。「京都インクライン物語」で1982年に第1回土木学会著作賞を受賞。以後「土木の応援者」と自認し、土木関係のノンフィクションを多数執筆した。

「京都インクライン物語」は京都市内に水を引く物語。明治2年、東京遷都ですべてが東京に移り、京都は衰退の危機。当時の京都府知事・北垣国道は水の確保と物資運搬のため琵琶湖疏水(そすい)の建設が必要と判断(疏水とは遠くの水源から水を引く水路のこと)。北垣はこの壮大な計画の責任者として東京工部大学校(現在の東大工学部)を卒業したばかりの田辺朔郎を指名した。田辺は5年の歳月をかけ、延べ400万人の労働者を動員して琵琶湖と京都を結ぶ運河を完成させた。工事の途中でアメリカの水力発電の話を聞き、急きょ南禅寺のそばに水力発電所も建設。これにより西陣織などの伝統産業が近代化し、路面電車が走り、各家に電灯がともることになった。また、琵琶湖と京都の水位差が大きいためにこのままでは水運が困難である。そこで運河を高所、低所の二つに切り、その間を鋼索鉄道(ケーブルカーのようなもの)で結ぶこととした。台車に船を乗せ、斜面に沿って引き上げるという設備である。これをインクラインという。これらの遺構は今でも見ることができる。

北垣国道は京都府知事から黒田清隆に次ぐ第4代北海道長官に就任した。北垣長官はこれからの北海道に必要なものは鉄道であると判断し、帝国大学工科大学の教授となっていた田辺朔郎に北海道鉄道調査を依頼した。実は田辺朔郎の妻は北垣の娘・しずである。義父には逆らえない?田辺はこのとき34歳。北海道に渡り、未踏の原生林を踏査し、厳しい自然に立ち向かい、ついに北海道に1千マイル(1,600km)の鉄道を敷くという青写真を完成させた。この土木技術者たちの熱い夢と理念を描いたのが「北海道浪漫鉄道」(新潮社、1986)である。他にも新潟県の大河津分水路工事で奮闘した宮本武之輔を描いた「物語 分水路―信濃川に挑んだ人々―」(鹿島出版会、1990)、小樽運河の再生ドキュメンタリー「小樽運河ものがたり」(鹿島出版会、2009)などもある。

田村喜子さんは国土交通省の外部評価委員を長年お勤めしていて、北海道分科会の委員でもあった。その関係で私も何度かお会いし、2度ほどわずか数人ばかりの夜の飲み会でご一緒する機会にも恵まれた。大変気さくなお方で、お酒も結構強かったと記憶している。そんな折、地盤工学会が技術者倫理問題事例集を出版することとなり、私も委員に選ばれた。事例集は二部構成で、第一部は八田與一物語を、第二部は各自が持ち寄った事例を掲載することとなった。ところが各自の事例は「物語」になっていない。皆さん技術者なので、小説風にはかけないようだ。そこで私がすべて書き直すことにした。第一部の八田與一物語はすでに田村喜子さんに依頼済みであった。やがて田村さんから原稿が届く。縦書きであった。事例集は横書きである。田村さんの縦書き原稿を何とか横書きにしなければならない。すでにお分かりの方もいると思うが、小説はセリフごとに改行する。長々と書いたりしない。しかし横書きでそれをやると「間が抜ける」。そこで、苦労しながら田村さんの原稿を横書きに「修正」した。改行を控えたり、バランスを考えて漢字に直し、ひらがなに変えたところもある。それを田村さんに送り、見ていただいた。OKの返事を頂いた。ドッと疲れた記憶がある。2003年、建設技術者のための倫理問題事例集「君ならどうする」が出版された。

あるとき田村さんに「土木は3Kと言われて若者に人気がありません。きつい、汚い、危険だと…」とお話ししたところ、「土木屋自らそんな自虐的なことを言ってはいけません。若者が目を向けるような3Kを提唱すれば良いのです。感動、感激、そして驚異という3K…」と諭された。さすが「土木の応援者」と感心した次第。我が社の業務も3Kではあるが、新たな3Kを目指して頑張りましょうか。とりあえず思いつくまま、快感、快適、快活!!

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プロフィール

Author:能登繁幸
「ちょっと斜にかまえたエッセイ集」の第1集、第2集、第3集、ならびに毎週発信の「新能登メール」を収納。

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